
やはり放っておくと無尽蔵に伸びてくるのが髭というもので、これはよほどワイルドな顔立ちでないかぎり伸ばしたところで不潔感がマシマシになるだけでよほどのことがない限りは、髭を伸ばし続けないと殺す、等のことが言われていないのであれば毎日剃った方がいいのよ、と僕は思っています。
以前は僕は、髭は剃らなくてもいいのよ、と思っていましたし、それを感じていました。六本木一丁目や溜池山王で乗り降りする奴らにロクな人間は居ないというのが事実なのですから、僕がそう思っていたことも決して無理のないことであったと思います。
なぜ、髭を剃らなくてもいいのよ、と感じていたのか。それはひとえに髭を剃るつまり親からもらった身体に刃を入れることへの背徳。ハイ剃れましたとなった後に顎の奥の方に剃り残しを発見したときの気怠さ、倦怠。一日の終わりになるとまたジョリジョリと伸びてきて「覇ァ、明日もこの髭とやらを剃らんといけんのんか。」という憂鬱、対人関係のストレス。それらが混ざり合って合わさり合って、ならば僕らは剃らなくてもいいのでは?と自然にそう思うやうになってしまったのです。当然の流れかなと思います。「そんなことになってしまいました。」と当時の僕が今もまだ泣きそうな顔面でこっちを見ています。こっち見んなや、と怒鳴りたくなりますから。
そんなそんなで髭を剃らなくてもいいのよ、と思い至りた僕が今こうして毎日のように髭を剃りてその素晴らしさを刮目せよとばかりに顎を振り回しつ天下の往来を往来しておるのかと言いますと、それはある魔法の汁、てか泡との出会いのおかげさまである。
そう、それは、未情。
それぞ未情の極上の泡。
泡の癒し、髭を柔くするから。
クールミントの汁を含みし未情の泡で剃れよ君も。
上記は僕の髭剃りに対する認識を180度変えてくれたシェービングクリーム「未情」のCM中に低く渋い男性の声で読まれるポエムである。私は未情が好きすぎて覚えてしまったし、そしてこうして字に起こしてみても未情の素晴らしさを謳った実に優れたポエムであることを発見しひとりほくそ笑んでいる。
未情、いいよなぁ、未情。
未情は上記のポエムにもある通り、泡である。泡状のシェービングクリームである。
意外なことに未情はスプレー缶に詰めて売られており上部に備え付けられたボタンを押すとどういうわけか泡がシューと出てくるため、こちらでわざわざメッシュ等を用意して泡立てる手間をかける必要が無いという便利さの鬼のような製品である。
(株)ナンポーという男性化粧品の会社が製造販売をしているということを何故私が知っているかというと未情のスプレー缶にプリントされたラベルには嬉しそうにツルツルのアゴを触る中年男性のイラストレーションと共に毛筆のようなフォントで書かれた未情、という商品名、そして製造販売元や使用方法やら取り扱い上の注意やら、あんなに小さなスプレー缶に未情に関する情報が大量に記載されてあるからで、消費者は一度未情を手に取れば未情がどこの馬の骨であるか一撃で知り尽くすことができるのである。
そんな未情を初めて使用した時の感動はいかな感じであっただろうか。
それは未情のCM中に読まれる上記のポエムにもあるとおり「それぞ未情の極上の泡。」。
スプレー缶にて泡状に吹き出されるその泡はパッと見ではそれがまさか泡であるとは思えぬほどにキメが細かく、なんつーか牡蠣みたいな感じ?そんなオイスターのフィーリングを大事にしていきたいみたいな感じが揺るぎなく、いざ髭にそれを塗りてみてなるほど納得。極上の泡と自ずから称するだけのことはあって、打ち上げ花火をふざけて飛ばしたら天パの友人の密集した毛髪に刺さってその友人はビックリして池に落ちたよ、みたいな偶然が重なった感じがあって、それがとても心地よいことのように感じられて、たしかにこれが極上の泡なのかもしれない、という思いをこの胸に抱くことが出来た。
そしてもう一節、「泡の癒し、髭を柔くするから。」。
「柔くするから。」なんて藪から棒に言われても信用できないし、だいたい柔くするってのも人によって基準がまちまちで、そして使用するカミソリによっても剃り味がまちまちで、そんな自信満々に「柔くするから。」なんてよく言えたもよだなアホンダラ。もし柔くならなかったらアホンダラと正式に呼ばせてもらうけれども文句ないよね?だって凄まじい自信があることなのだもんね?それでの「柔くするから。」なのだしょう?だしょうよ?
ほら、もうら、網羅、髭の生えし箇所に君こと未情の泡を塗りたくり尽くすことの出来てしまったのだけれどねぇ。どうかな?どうなのかの瀬戸際
(カミソリを当ててみて)
柔ら。
これぞ私の髭を柔くしてくれし至上の泡は未情の泡なりや。剃れる剃れるはノン・ストレスで。
まず剃っている自覚が無いものね。当ててるだけ、みたいな。当ててススっと下や上にいごかして(動かして)いるだけ、みたいな。
剃っているという感じが無いのよ。触れてみているだけ、という感じなのよ。冗談抜きで。
髭を柔くしてくれているどころのホスピタリティではないんですよね。基本的にもう、剃る、という経験をさせないつもりすらある感じ。これが未情と僕との約束になっていくのかなって、思って。
これならたしかに「柔くするから。」と自信満々に謳っても誰も文句は言わないのではないかな。実際に未情によりて実在の現象で柔くなっているのだからそこに文句をいうならば未情の泡を塗ってみてよ、で済む話ですからね。なけなしの時間を割いてそのようにする価値があるんかどうかという話やけんれども。
しかしまぁ、それで証明されるのであるから「柔くするから。」という大そうな自信にもうなずけると思うんだよね。俺みたいな跳ねっ返りは。きっとおまえだってそう。
とにかく一度試せばわかるさ。
僕個人としては未情とはただのシェービングクリームの枠には収まらない、なにかこう"未情"という一つの独立したブランド(人格に似た)と共に髭を剃るというカタチ。未情という新規のパートナーと共に毎朝の髭剃りを楽しむというカタチを提示していけるのではないかなって感じていて、それを誰かと共に提示していけばいいのかなぁ?ってずっと悩みながら過ごしていて、でもこういう悩んでいる過程そのものが未情と、そして僕との距離を縮めてくれるのではないかという気持ちがあるから、僕は今日も髭を剃るの未情と。