邪民出るよ

 

また最近になって邪民が出た、というアドバイスを方々で耳にするようになってきた。

このところ毎年年末になるとやれ邪民が出ただの邪民が出てこないだの邪民とは似て非なるものだの衆生がクソやかましいことこの上なく、私のように常に静寂と共に在りたい者にとっては思わず「もうちょっと静かにしていただいてもいいですか?」と言わずにはおられぬいたいけなシチュエーションなのであるが、とはいえ衆生は衆生なので一人が騒いだら俺も俺も私も私もと我が我がと騒ぎ立てるのが常なることでありますからそれはもう仕方のないとして問題は邪民の方で、なんでこうも毎年毎年、しかもこの暮れの忙しい時に出んねや、ということでこの辺は衆生と話し合って解決できないのか、つーかできるっしょ、やるしかないっしょ、憤懣やるかたないっしょ、互いに、とぞ思ほゆのんだけれどもそれって俺が間違えてんのかなぁ?

いやたしかに長い道のりになるかもしれぬんけれどもそれでこの(ある意味)風物詩みたいになっている連日連夜のから騒ぎが解消されるのんであれば皆んながハッピー、皆んながやッピー(やったー、と、ハッピー、を混ぜ拵えた造語。オリジナルの造語です)、皆んなで夢叶えていける、ウノ・ジョージも今日は俺に殴られない、と良いことづくめの年末になると思うのんですけれどもそれってどう思いす?思います?

だども出たんだってな、また邪民がよ。

なんだってこの年末の忙しい時に邪民は出て、くるのであろうか。この時期さえ外してくれればもう少し冷静に対処させてもらえる、ということを邪民は解っているハズであるのに。

でもそれを解っていてあえて年末に出る、というのが邪民の邪民たる所以であるのだよなぁ。俺が邪民だとしてもやはり年末に出て、それによってより邪な雰囲気を出せればな、と思うのものね。やっぱ考えることは邪民も衆生もみな一緒なんやなぁ!(笑)

 

と、まあ何がおもろいか全然解っていないままとりあえず笑わせてもらって、自分、つまり私は邪民ではないということだけはあからさまに華やがせていただいて、「~させていただく」という言い回しは禁止にさせていただいて、今はただ、たまたま此処へ魂と肉体が留まっているだけの、それっぽむちの存在にすぎないむちむちの自分、つまり私(邪民ではない)をもひとつ大事にしていかなあかんなぁ、とぞは思ほゆんやけれどもね。