
やはりどんなけたくさんお金を持っているかよりもどんなけ健康であるかの方がより重要なファクターであるとわたしは、つーかわたしらは考えておりまして、そんな健康に対する意識が異様に高いわたしらのその健康の秘密、秘訣(どっち?)とは一体ぜったい何なのでしょうか?とても気になります。
ハッキリ言ってわたしらがかくも健康でいられる秘密というのはたった一つです。それは、生きたまま腸まで届く"タモツの克己心"というユニークな物質を死ぬほど摂取しているからなんですよねハッキリ言って。
今ではすっかり健康の代名詞となった、生きたまま腸まで届く"タモツの克己心"ですが、昔はそんなことは無かったのです。そらそうですよね。東大生だからといって母親から産まれ落ちた瞬間にベルサッポの定理を理解して応用していたかというとそんなハズはありませんし、ロナウジーニョだって産まれる前からドライブシュート打てたかと言われたらそんなワケないですし、ノーベル化学賞を貰った人が精子の段階でノミネートされていたかというとそんなワケはないですよね。だから"タモツの克己心"だって初めから健康の代名詞ではなかったんだよということに対して納得していただけたのでしょうか。
その昔、"タモツの克己心"といえば生きたまま腸までは届かない物質であるというのが現在までの通説でありました。腸に届く頃には死んでて当たり前、みたいなところがありました。だので"タモツの克己心"は健康には全然効果が無く、摂取しようがしまいが心身ともに何の影響も無い、というのがこれまでの国際的な見解でした。
そんな"タモツの克己心"ですが、数年前、死してなお腸まで届く"タモツの克己心"というユニークな物質が発見されてからは国際的な見解にも少しの変化が見られました。
「この"タモツの克己心"は腸に届く前にただ死んでしまっているのではない。死してなお腸まで届いてやる、という強い信念によってユニークになっている。マサルはこれを、死してなお腸まで届く"タモツの克己心"と名付けることにした。」
変化を見せたとはいえ、死してなお、ということは結果的には死んでいるので、しかしそれをあえて、死してなお、と表現する事によって"タモツの克己心"の生きたまま腸まで届きたいという強い意志、魂と腸の融解点、死んで蘇った天魔の御霊みたいなオカルティックなアプローチで消費者を混乱の災禍へと陥れるとは何たるアレなのだろう、禍事なのだろう、言い方変えただけやん的なことを国際的に言われたことによって"タモツの克己心"は一時国際的な批判の的と相成りました。
まあそんな色々なアレが重なって奇跡的に現在は生きたまま腸まで届く"タモツの克己心"というユニークな物質がニューヨークとかでもえらく幅を利かせているということで、これは喜ばしく嬉しきことであります。
「"タモツの克己心"はとてもユニークな物質。もちろんユニークなだけではなくテクニークでもあるわ。ユニーク、テクニーク。私がユニークと言えばあそこでステップを踏んでいるおっさんがテクニークと言うの。見ててな。ユニーク!…ほらね!テクニークと言ってたでしょう。それだけのこと。それがニューヨークでは当たり前のこと。」
"タモツの克己心"が生きたまま腸まで届くようになってからは、あれやこれやとやたらめったらに話がポンポン拍子に進んだのではないかという自負がわたしには、わたしらには有ります。風邪も滅多に引かなくなりました。引いても年一、とか?だよな?そうだよな?
風邪を引かないイーコール健康なのかの問われればそれは決して風邪を引かないことだけが健康ということではないのではありますが、しかし健康ならば風邪も引かぬだらうということで風邪を引いても年一くらい?ポンポン拍子の調子で便意も豊富で、やることなす事大丈夫なのでございまして。それがわたしらの健康の秘密、秘訣(どっち?)なんですよね。