パーソナルスペース

 

手を伸ばせば触れられる距離よりも内側、ごく親しい間柄の者にのみ立ち入ることが許されしディスタンス。それはパーソナルスペース。千夜一夜の境界線。

では私のパーソナルスペースに入ってみましょう。

はい入って。出て。入って。出て。入って。出て。はいそのまま。

どうでしたの、私のパーソナルスペース。それは誰しもが持つ距離感。産まれながらの対人関係と社会性。そして産まれた時から与えられている私だけのスペース。少し臭うのかしら、私だけのパーソナルスペース。

誰かが言ったさ。

「体言止めを多用すると叙情的な雰囲気が簡単にに出せる感じで良い感じ。そんなことよりも私のパーソナルスペースに無闇に出入りせし者は何人たりとも已む無いわ。」

それほどにシビアであるパーソナルスペースなのだけれども、デリカシー無き者達にはその繊細さがイマイチ伝わっておらず、それが日常生活のイライラの種になっていたりする。

 

何故デリカシーの無き者は他人のパーソナルスペースをガンガン侵してくるのか。そして自分のパーソナルスペースを侵されることに何も感じていなさそうなのか。それは、デリカシー無き者には自分も他人も無いからである。

デリカシー無き者は「あなたと私」という考え方をしない。「俺たち」のみである。

何人かで集まって行動する場合、行動を共にする全ての人間を合わせてひとつの「個」みなしているのである。だからパーソナルスペースもガスガス侵してくるし説明の為に見せたスマホーもすぐにぶん取って勝手にスワイプするし人のモノを勝手に食べたりするのである。だって俺たちって俺たちなのだから俺プラス、みたいなことなのだから誰の皿であろうが勝手に使ってよくね?いやもちろん俺プラスということは逆にお前プラスでもあるワケだから、俺は例えば俺のリュックからお前が勝手にプレステを取り出そうと別に忿怒したりしないよ。そりゃまあ常識の範囲内の扱い方であれば、ってことだけれどもそれはほら、そこは分かるやん?だから俺もこれからもお前の部屋の冷蔵庫をもっぱら勝手に開けては「何も食うもん無いな。」とかは言っていくと思うよ。「こんなもん煮抜きも作られへんがな。」とか。でも逆にお前が俺の部屋の冷蔵庫をもっぱら勝手に開けるのも全然オッケーやからね俺としては。もっぱらオッケーよ。そりゃあまあごっつ平場の時に「なんや、北京ダックも無いんかいな。」みたいな突拍子も無いこと言われたらさすがに俺も堪らんけどそこはまあ常識の範囲内で考えてくれれば。というのがデリカシーの無き者、パーソナルスペース無き者の言い分なのだ。

 

 

ただ、デリカシーの無き者が軒並みクソ野郎なのかと言われると果たしてそうでもなく、久しぶり会うとそのガサツさがなんだか心に沁みて、長らく会っていなかった時間が瞬時に埋まるような感覚も無いではなく、そう言った時に不覚にもそのデリカシーの無さに癒されたりしてしまうのであるのだけども。