聞かれよこの俺の声を

 

あまり走り慣れていないもので、坊主が和尚に気を遣って本来の自分を発揮出来ていない、みたいな感じの走り方になってしまっている者があった。

これはどういう走り方かというと、寺に入ってもう五年になる中堅の坊主がある日和尚に言われた。

「ちょいとおまえや。おまえは学生時代に学生プロレスをやっていたそうだな。クラッシャー・ザ・破壊僧とかいうリングネームで。そんなおまえに頼みがあるのだが、ワシにこのシャイニングウィザードなる技を喰らわしてみてくれ。このレスラーの痛みはワシの痛みや。人の痛みも知らずに何が和尚やねん。えーと、膝立ちになってと。じゃ、よろしく願いします。本気でね。」

わりとゆったりとした宗派に属する我々ではあるものの、和尚は禅宗のあのストイックでストロングな感じに憧れを持っている節があり、稀に我々弟子に対して上のような無理難題をふっかけてくることがあった。

そして少しく困ることには、和尚も禅宗への憧れから何かしらの無理難題をふっかけてくるだけで実はハッキリとしたヴィジョンがあるわけではなく、それ故なまじ我々弟子が極めてソリッドに、ストイックな感じで答えると和尚も「うわぁ、なんか禅宗っぽい感じでカッコいい感じで答えられたー。」みたいなことを思っているのか、何か口をモゴモゴさせつ手をモジモジさせるのみで特に明確な答えを用意していないのが丸わかりの気まずい空気が流れるだけなので、最近では我々弟子はあえて「それは、クリームソーダーを飲みたいの気分にございますー。」ってな感じのバリバリのアホを演じて和尚の「おまえはまだまだ修行が足りんのじゃ。」って言いたい欲を満たしてさしあげることで何とか急場をしのいできたが今回はちと毛色が違う。

シャイニングウィザード?武藤敬司の?

何故いきなりそんなフルコンタクトな問答に切り替えたのだろう。てゆーか禅宗のお寺でもそんなことやってなくね?せいぜい座禅のときにあの長い木ベラのような物で肩を軽くシバく程度なんとちゃいますの?

様々な考えを巡らせる坊主であったが考えたってしょうがねえ。ここは乾坤一擲、さっきから少し俯き気味で膝立ちになりて来たるべきシャイニングウィザードに備えてスタンバっている和尚を放っておくことも出来ず、学生プロレスで培った身のこなしを活かしてシャイニングウィザードを和尚のやにこい身体に叩き込んだ。

が、いかんせん師弟関係にある和尚に対しよもや本気のシャイニングウィザードを放つことなど出来るハズもなく、結果的に和尚の身体前面に軟着陸するような感じで二人で折り重なって倒れこんでしまった。

うぅー。痛いー。と呻く和尚。

でもそれはシャイニングウィザードの痛みではなく、いくら軟着陸とはいえ成人男性である坊主にのしかかられて倒れ込んだ故の痛みで、(本気かどうかはわからないが)シャイニングウィザードの痛みを知る、という和尚の本懐はとうてい遂げられてはいないのだが、そりゃあここで本気のシャイニングウィザードなんか叩き込めるわけないよなぁ。

 

といった感じがふんだんに醸し出されているのが前述した、坊主が和尚に気を遣って本来の自分を発揮出来ていない、みたいな走り方なのであるが、要するにギクシャクとした走り方ということなのであるが、そんな様子で混雑する朝の駅構内を走る者があった。

俺である。

初めて赴く地への朝早くの集合で、ややこしい東京の駅構内を存分に焦りてスマホーで乗り継ぎの時間や何番線に停まるのかを確認しつこうして坊主が和尚に気を遣って本来の自分を発揮出来ていないみたいな走り方をしているのであるが、しかしさすがに東京へ来て三年も経てば名実共にシティボーイ、そんな俺のことであるから、多少焦りたとはいえ目的地へ向かう汽車が停まりしホームを無事に発見し今まさに辷り込んだ汽車に飛び乗らんと階段を駆け下りて何とかドアが閉まる前に乗り込むことが出来た。しかも車内はあっけらかんと空いている。

 

ザッハ!ザッハトルテ!

見やれこの余裕、大人の風格。田舎者だからといって嘗めるのではあらぬよ。その気になれば汽車に乗るくらいちょっちょのちょずらぁよ。と、東京に勝った歓びに浸ったのも束の間、何者かが私の肩を叩きた。振り返るとそこに警備員の格好をした男が立っている。見たところ五十代後半のその男はめちゃめちゃ気持ち悪い、アホみたいな顔をしながら私にこう言った。

「お兄さん、女性専用車両」

は?なに?

俺の肩を叩きて、お兄さん、と言ったのだからこの、お兄さん、とは俺のことだろう。そしてなに?女性専用車両?それはなに?お兄さんつまり俺が、俺こそが女性専用車両である、ということ?俺が車両?どこをどう見て俺がそんな車両みたいな鉄の塊に見えたのか?でもこの警備員らしき男は俺の肩を叩きて俺を見て、その上で俺が女性専用車両であると申した。

じゃあやっぱり俺は車両なのか?東京の人混みに揉まれるうちに閉ざした心がいつのまにか具現化して俺を鉄の塊へと成り果てさせたのか?そんなファンタジアな…。

と思ったかと言うとそれは嘘で、ほら、小学校の時分に授業中にどうしてもトイレに行きたくなりて、「先生、トイレ」なんて勇気を振り絞って言ったにも関わらず先生は「先生はトイレじゃありません」なんてつれない返事をしたりする時があるじゃないですか。先生ってそういう下らない人間がほとんどじゃないですか。特に小学校はね。

でもこっちはお前がトイレじゃないことくらいわかってるし俺は「(この場のマスターである)先生(に伝えます)、(私、ただ今抜き差しならぬ状況ゆえ)トイレ(に行く許可を下さい)」という意味で言っているし、てゆーかそれくらい察しろよ。年端もいかぬ小学生に何を威張りたおしとんねん。大学出てるんやろがこのボケティーチャーが。と思うタイプのクソガキであったので上のように「お兄さん、女性専用車両」と言われたとしても俺自身が車両であるなどとは露ほども思わずこの明晰な頭脳で状況から考えて私が乗り込んだのは女性専用車両なんだな、とすぐさ判断出来たのであるが。

であるが、ですよ。

聞けよ。今さぁ警備員さぁ、オイラあからさまに急いで乗り込んだじゃないですかぁ。しかも此方人等初めて乗った汽車じゃないですかぁ。朝の忙しい時間じゃないですかぁ。乗るだけ乗って車内で普通の車両に移動するって考えかもしれませんやん。それを何を鬼の首を取ったような気持ち悪い顔して「お兄さん、女性専用車両」やねん。なんでホームに降りる一番大きい階段の、しかも先頭車両が女性専用車両やねん。

あとこれは明らかに被害妄想だけど、中にいる女子どももまるで夜にしか現れない化け物が現れたかのような目でオデのことを見てさぁ。とりあえず乗るだけ乗ってから移動するかもしれんやん。

 

一瞬たりとも男が足を踏み入れてはならぬのならば入り口にちんちん判断機でも付けて男は入られへんようにしてくれや。ちんちん付きの者が入ろうものなら「ちーん、ちーん、メンズです。メンズです。」みたいな機械音声で警報が鳴るちんちん判断機でも付けてさぁ。

 

この声よ、不気味で実用性の無いモノばかり作っている中小企業のメーカーに届け!