玉さすりソモコ

 

おぎゃん、と産まれましたその日から人間はさすられさすられ、それはもうさすられ、ある程度の年齢まではひたすらにさすられさすられ、だいたいチン毛に萌芽の兆しが見られてきた辺りの年齢でさすられることも随分と減り、しかしさんざっぱらさすられてきて今更滅多にさすられなくなるというのは悲しい話で、それならばいっそさすられることを知らないまま生きてきたかった。こんなに辛いのなら出会わなければよかった。なんてセンチメンタルの影が心に落ちて、仕方がないので己で試しにさすってみればどうでしょう。

どうでした?

 

「めちゃキモちぃだった。」

 

ほら、ね。意外とイケるんですよ、己自身でさするのも。悪くないんですよ。つーかむしろ自分の好きな時に?好きな回数?好きなだけさすれる?ってなことで己自身でさするほうが幾分おトク感が強い感じを感じ、やがて思春期の男児たちは己自身でさする方向へと堕ちていく、堕ちていく。それが玉さすりソモコの罠だとも知らずに…。

 

「でもめちゃキモちぃだったから。」

 

あなたはそう言い訳をするでしょう。しかしそれはラーメンの残りスープに浮いた大小の油の輪を割り箸で巧みに繋げてひとつの大きな輪にする行為と同じで、そんな言い訳に耳を傾けてくれるる程世間は甘くありません。いやむしろ厳しい。世間はものすごく厳しい。同じ安物の服なのにイケメンと不細工が着るのでは全然印象が違うという点においても世間がどれだけ厳しいかをお判りいただけそうなものですが、どうでしょう。己で己をさすることが玉さすりソモコの罠だと気づくキッカケにはなったでしょう。なりましたとも。

 

「なってない。だてキモちぃだもの。キモちぃのことはいいだよなぁ。みつを。」

 

いるんですよ。自分が罠にかかっているという事実を知らされても強がって知らぬ存ぜぬの一点張りを貫き通す者が。ここにもいましたね。

人が親切で助言してあげているにも関わらず「うるさーい!関係なぁーい!」てな感じで我が道を突き進み、しかしそんな考え無しのポンポコナでありますからやがて行き詰まり私なんかに泣きついてきて「ちょっと、思ってた感じと違いましたとさ(泣き)。なんとかして助けてほしいとさ(泣き)。」みたいな感じで泣きついてきて、でも正直言ってそんな時はもう手遅れになっていることも多いので私としてもそれ見たことか、だから言わんこっちゃない。玉さすりソモコの罠であると言ったよね?言われた記憶あるよね?じゃあなんで己で己をさすり続けたの?

 

私は何度も注意を喚起したつもりです。いわゆる注意喚起というやつを。でも私の言葉はあなたには届かなくて、あなたは己で己をさすることをやめなかった。やがてあなた自身が愛する誰かをさするようになることも知らずに。さすり方も、知らずに。

これから先、あなたがたとえば経験もしたことのない群青にまみれるとして、そこで初めて私はあなたに救いの手を差し伸べるでしょう。時を超えてあなたを想うそのときに。

だからそれまで、あなたは己で己を叱り、説教し、諭してみてはいかがでしょうか。

 

 

「だって、ホントにキモちぃのことだったから。それがたとえ罠でもかまわないと思った、思えたんだ。」