アベック can't stop.

 

ザッハトルテをもひとつザッハさせるために最も重要なことは何だろう。それはおそらくアベックの愛の炎である。

払暁未だ遠き都の空を真っ朱に染め上げるほどの愛の炎で、あなたが大事そうにしているそのしょうもないザッハトルテがどうでしょう。もひとつザッハしたかのような(というか、実際にザッハしている)、見違えるようなザッハトルテがあなたの目の前にデーンと現れたではありませんか。

お味はいかがでしょう。なにしろ愛の炎でザッハさせたこのザッハトルテのこと、そんじょそこらのショコラティエではお目にかかれぬような至上のザッハに仕上がっていると思いますので、そらもう一口食べれば極楽へ、二口食べれば極楽へ、そして三口食べれば極楽へ。一口で極楽へ行けるわけですから、結局何口食べようが極楽からは一歩も動けぬ桃源郷のバラライカであり、それは三昧境のこんころもちで、東京最後の一夜干しとも言えるよな、けたゝましくややこしい伝説のM字開脚の心得を得ることがあなたは出来るのでしょう。

そんな愛の炎のショコラティエに成りたい者が多く居る今の世の中ですから。

 

さて、一口に愛の炎と言いましてもそれはアベックによっても様々で、たとえば太いロウソクのような小さく、しかししっかりと灯りっている愛の炎もあれば、本能寺の変が如く轟々と燃えたおし、それはもう殿を追い込むほどの愛の炎をたたえているアベックも存在します。そのどちらが正しきアベックなのかは、それは当人同士の自由ですから我々外野の人間がとやかく言ったところでそんなものは当該アベックからすれば横チンライダーの本末転倒、鍋敷き奉行の鬼の行水にも似たしたり顔のえびす顔、夜明けのソバットのような取るに足らぬ議論であるので廃しておいて、ここはひとつ、差し入れや土産の際に甘ったるいお菓子しか買ってこない者どもについて心ゆくまで悪口を言うというのはどうでしょう。それに飽きたらコンテンポラリーダンスにでも興じるとしましょうよ。コンテンポラリーダンスですからあなたの好きなように踊っていただいて構わないんです。たとえそれがこの世で一番やるせないステップであったとして、誰が文句を言えましょうか。誰がスーパーひとしくんを没収(あえて没シュートとは言わないのが優しさ)出来ましょうか。そんな悲しい世の中に生きる私たちなのでしょうか(泣き)。ほら、やっぱみんな泣いてるではないか。

 

でも大丈夫、その涙を乾かしてくれるのが今回ご紹介したアベックの愛の炎なのですから。

愛の炎が涙を一瞬にして蒸散させてくれるのです。その時は「ジュッ」と音のすることでしょう。それは愛が悲しみを消す時の音なのかもしれません。しれませんっていうか、そうなんです。そんなもんらしいんです。

そして涙が乾いたら、これまた再び愛の炎によってもひとつザッハされたザッハトルテをお供にティータイムとしけこみましょうよ。

 

 

そんなにアベックの愛の炎によって物事がポンポンと運んでいくのであれば、もっとアベックの愛の炎を新たなるインフラ?のひとつとして運用して、逆にもうマジで無くてはならないものにする、みたいな手もあるような気がするのですけれども。