
チャンピオンカーニバルでオールドスクールなエブリリトルシングをやらかした大和田。と聞いて皆様は思うことでしょう。
「いや、オールドスクールってなによ。」と思うことでしょう。トラディショナルとなにが違うの?と思うことでしょう。
まあひとえにオールドスクールといってもその解釈は様々で、例えば店頭で購入したリンゴをシャツの袖でコスコスっと拭いてそのまま丸かじりにする感じをオールドスクールとする人も居れば、はたまた一人称が「我輩」である者こそがオールドスクールとする向きもある。
そのどちらが真の解釈であるかどうか、それはこの際あんまりどうでも良くて、問題はそういった答えの無い議論を延々と繰り広げる霞ヶ関のジジイやババア、それこそ便器にこびりついた糞汚れが如くチンチラポッポな連中が後を絶たないということである。それは本当に腹立たしくやきもきしく、何の為に我々小市民が汗水かいて働いて血税を納めているのか、今一度考え直したい、もしかしたら納税者である此方のミスなのではないか、そんなことすらも考え始めてしまうようなこの霞ヶ関の元気にウンコをするしか芸のない人たちを見ての。
それはそうと、よく上記のように「霞ヶ関の~」みたいな物の言い方をするのを耳にはしないであろうか。私はよく耳にする気がしている。しかしその霞ヶ関とやらが一体なんのことなのか未だによく理解していないが。
だが、「霞ヶ関の~」とか言っている人のそのほとんどが、なんだか苦そうに顔をしかめつつ批判めいた、要は悪口らしきことを言っている気がするのでその状況から判断するにこれは恐らく悪口を言う前の助走のようなものであると考えられる為、私も他人を無闇に批判する際には文頭に必ず「霞ヶ関の~」と付け足すことにしている。「霞ヶ関の~」と付け足すだけでただの悪口も格式張った感じにグレードアップするので不思議なものである。
「霞ヶ関のフルチン坊や」
「霞ヶ関のポテトヘッド」
「霞ヶ関のエンドロールで席を立つ奴」
「霞ヶ関のロイヤルストレートフラッシュがいつもテンパイまでしかしない奴」
どうだろう。なにかこう、悪口を言われている感が切なく押し寄せてくるにはくるが、なんだか一国の政治に携わっているような、そんな大局的な雰囲気をカモしているように感じられないだろうか。
もし感じられるのであればどしどし使っていけばいいし、残念ながら感じられないのであれば無理せず今まで通りに下賎な悪口を言っておればよい。それだけのことだ。