キャンディマン

 

嗚呼懐かしやキャンディマン。今何処。

あなたの居る処に人は集まる。てゆーか人が集まる処にあなたが行く感じ。そして結果、あなたがその場で一番のキャンディマンとなり、人はキャンディマンと時を共に過ごす歓びに満たされて満足此処に極まれりといった表情で満足そな表情で各々が散り散りバラバラ、また元のつまらない生活へと帰っていくのね。

キャンディマン、あなたが人に与えるのはそんな束の間のかりそめの歓びのみなのかしら。もっとなんかこう、でっかいモノを与えたりすることは出来ないのかしら。それこそ、半月くらいはその歓びの余韻で生きていけるみたいな。発毛の歓び、とでも言えばいいのかしら。

いいえ、無理にでっかいモノを与えろと言っているわけでは無いし、無論、下ネタでもなくて。

私はただ、地域で一番のキャンディマンであると思うあなたにだからこそのこの問いかけなので、それは分かってほしくて。期待しているからこその、なんかもっとこうスケールのでっかき歓びを人に与えらるればもっとキャンディマンとしての幅が広がるというか、就職にも有利になりそうな感じがするというか。

現実味の無い幸福論を語る偽善者の濁りある瞳とは一線を画すあなたキャンディマンの澄んで煌めく瞳を見ていると、私はそのような次の可能性に向けて一際テンションが上がってくる実感があるのでよ。

 

でも知ってる。いくら天天天下のキャンディマンとはいえ、他のピープルと同じように悩み、迷い、ほたえ、ゴタつき、太り、痩せたりしながら生きていることを。故にあなたがキャンディマンとして生きていくことにイマイチ自信が持てていないことを。本当は誰よりも寂しがりやであることを。今日はコレが食べたいってなったら何があっても譲らないことを。靴下に穴が空いていても2回目までは気づかぬふりをして履くことを。そして「ヘイ、キャンディマン。靴下に穴が空いているよ。」とそれを指摘された時の"今言われて始めて気がついた"みたいなリアクションの取り方がクソ下手だということを。紫色のモノを選びがちな時はフラストレーションが溜まっており欲求不満の証であると耳にしてから紫色の服やら鞄やらを身につけている女性を見るにつけ気が気ではないことを。メーカーによって異なるエレベーターの行き先階キャンセルの仕方を完全に把握していることを。芝犬のことを「しばけん」と言う人を実は見下していることを。松坂牛のことを「まつさかうし」と言う者をクソウザいと感じていることを。チームのことを「ティーム」と言うのはなんかアホっぽくて好んでいるということを。実は胸毛が生えたいことを。本当は誰よりも孤独を怖がっていることを。

 

もしもキャンディマン、また会えるなら私はあなたにこう言うだろう。

キャンディマン、これは社会が悪いのかもしれないが、これからはもっと自分のマインドを曝け出し、出来ることならば無理に人混みに巻き込まれに行こうとせず粛々と暮らしていていいからもっと心に平穏な時間を持たせた方が良い。そしてキャンディマン、皆でカラオケに行った時に人が歌っている曲の間奏にボイスパーカッションで参加するのはやめた方が良い。それも普通の三点謂わゆるキックスネアハット以外の、何か効果音みたいな、ダブステみたいなSEを入れるのはやめた方が良い。顔が肛門みたいになっていていたたまれないのはもちろん、ツバがマイクに溜まる感じが堪らぬ嫌さを醸し出している。あと、またカラオケの話になって申し訳であるが、洋楽のラップの曲を歌うのをやめて欲しい。知らない。エミネムの映画のやつしか知らない。そしてそんな曲でコールアンドレスポンスを求められても。

 

以上のことを私はキャンディマンに告げるだろう。それは上から目線のアドヴァイスや、代替案のない否定とは違う。あなたに心の気持ちを解された、ひとりのファンとしてあなたに告げるのだ。告げるのだから。