ショルダーをもう一度

 

一筋縄ではいかない相手であることは十分に理解しているつもりです。だからこそこの貧乏人の小倅は、この一筋の肩のショルダーによって世をパコナンっ。粉末になるまでタックルし続けてやろうよ、なんて勘違いも甚しき若き過ちを経てしまうことをお許しください。そして、たとえ許されないとしてもやります。ええ。そこはハッキリ言ってやります。だって今となっては、この肩だけが、このショルダータックルだけが、若き我らの存在証明なのだから。IDみたいなもんなのだから。

 

最初にショルダータックル(以下、ショルダー。長いからね。)を世に放ったのはいつのことであったでしょう。詳しくは忘却の彼方ですが、未だ若かった我ら若者はこの世の理不尽さ、イビツさ、厳しさ、いやらしさ、狡猾さに嫌気が差してのショルダーであったことは朧げにも覚えております。司っております。

 

初めは単騎ショルダーでございまして、これが自分なりの、若者からのメッセージであるぞというメッセージを込めて渾身のメッセージでショルダーを世に放ったことを覚えています。まだ覚束ない、危なげなショルダーであったことは確実ですが、それでもその時その瞬間、私は世に一矢報いた感動でオシッコがダダ漏れになったことすらも朧げにも覚えております。

それからです。私が自らの手で、肩で世にショルダーを放つことに気を良くし調子にのり、あれよあれよという間に志を共にする仲間と出会い、別れ、邂逅してのギャン泣き等々ありまして今現在のごっついC調な私が形成されているのですが、その秘密こそがブラックボックス、つまりはショルダーによるものだったのであります。その仕組みこそは企業秘密、つまりはショルダーによるものだったのだ。

 

しかし、造反有理の正義の味方のドアトゥドアの我々闊達な大人物の者のことを良くは思わぬチンチロリンは当然これは存在しており、

「汝、つーか汝ら、当面の間はショルダータックルを世に放つをナシとする。危ないからね。」

というお告げが出た!というありもしないことをほざく輩も在るには在って、だからそういう輩、奴輩に対して我々はまたショルダーを放つというこの寄せては返すマッチポンプな関係性が変に気持ちよかったりもして。

 

 

だからこそのこのパコナンっ。ショルダーを放つ時がまた近づいているのやも。かも。