雨ノ介

 

降るなら降る、降らないなら降らない。どちらかラララ、はっきりとして。

それが雨ノ介に向けられる厳しい目線の全てであった。

電車の中でメイキャップをする女はたいてい、スネを強打したような痣をスカートの裾から覗かせていて、それがその女のガサツさ、やたらとファンシーな小物をたくさん持っているさを表していて、ほら、今日もチークが濃いぜ、って。

しかし雨ノ介はそんな女のことなど意に介さず、降るか降らないか、そのことばかり考えているのは雨ノ介が己が一存によって濡れるを嫌がる人々の今日一日のテンションのハイ&ロー、飲みの誘いの多寡を左右する(つまり経済を左右している)ということを十分に承知しているからで、自分自身が雨ノ介であることによって誰かの今日を成功や失敗、ロマンチックや所帯染みた感じに仕上げられてしまうことの責任からくる逡巡によるからである。

 

「大丈夫なんだ。俺は晴れ男なんだ。それは天気予報が意味を成さないほどに。お天気お姉さんがただの道化に見えるほどに。だから傘は持たなくて良い。傘の使い方もロクに知らない俺なのは、俺は晴れ男だからなんだ。」

 

そんなことを我先にとゴリゴリの気合いと共に言い争うこの男の頭上に雨ノ介によってひと垂れの雨粒を落としたとしようよ。するとどうだろう。先ほどまであんなにも溌剌として、スクスクと自身の晴れ男アピールをスクスクとこなしていた男はまさかの雨垂れに驚き仰天し、同時に同席する少しく好意を寄せている女性の自分を蔑むような目線に気づき(実際は蔑む気などサラサラなく、この場合男は自身の焦りによって勝手にそう判断しているのみなのであるが)居た堪れない気分が全身を包み込み、嗚呼、何故俺はあんなにも溌剌と闊達と、自分のことを晴れ男なんてほざいてしまったのだろう。ほざいてすぐに降ってきて俺の頭頂に落ちて雨垂れ、拾う者なし。そしてただただ雨ノ介を怨むのみ。

こうして雨ノ介はまた、身に覚えのない怨みツラミ、ハツ、ハチノスを買うこととなり実家はホルモンだらけと成り果てるのである。

 

俺たちの高校での最後の試合、14時キックオフ。

試合開始直後、キャプテンがポツリと呟いた。

「雨け?」

キャプテンがそうこぼすやいなや、突然の豪雨が工業高校のグランドを濡らす。キャプテンは雨を察知する能力が常人の3倍はあるのだ。本人はそれを「レイン・センス」と呼んでいるので、キャプテンが「雨け?」と呟いた瞬間、俺たちチームメイトの頭の中には、レイン・センスという単語が思い浮かんで一瞬気が抜けたがそんなことより今は試合中である。

水捌けの悪いこの工業高校のグランドはすぐにあちこちに水たまりを作り、思ったようにボールが転がらない。スパイクがしとどに水を吸ったせいで足が重く、いつものようにボールを捌けない。遠ざかるゴールはまるで馬の鼻の先にニンジンをぶら下げて走らせる、漫画とかでよく見るやつの気分を知るのに十分だった。

 

負ければ最後になるこの試合で全力のパフォーマンスが出来ないだなんてー--。

 

ハーフタイムに顧問の先生が俺たちの不甲斐ないプレーに対し、しかし怒る様子は無く、諭すように俺たちに話してくれた。

「まあ雨で思い通りに動けなくて大変なのは分かるが、どうか三年間やってきたことを無駄にせぬよう、雨なら雨なりの全力のパフォーマンスでこの急場を凌いでほしい。なぁに、お前たちなら出来るさ。そしてお前たちは、くそぅ雨のせいで!とかすごい言ってるけどお前たちだけじゃなくて相手チームも雨やからね。だからプレーのしにくさでは同等なのでそこはもう実力勝負だ。大丈夫、お前たちならできるさ。三年間がんばってきたじゃないか。いつも通りやればいい。そうだろ?」

顧問の先生の鼓舞されて気合いを入れ直し、そして相手チームも雨であるということに気づかされた俺たちは気合いが入り、後半が始まる前、いつもは試合前しかしない円陣を自陣中央でもう一度組んでさらに気合いを入れ直した。

円陣を組む時はいつもキャプテンが気合いの入る言葉(みつをの詩とか)を言って気合いを入れることになっている。

「俺らのこの代、ここで終わりたくないよな。俺らがまだ終わらないっていう代だということをここで証明しようぜ。

おいエース、この代のエースよ。お前がこの前の練習の時に手首を捻って、しかしその手首の痛みをチームメイトには隠していること、俺は知ってるぜ。痛えなら痛えでチームメイトに甘えりゃいいのに、お前はエースとして泣き言ひとつ言わずにピッチに立ち続けている。そういう強がりなところ、お前らしいよ、エース。

おいみんな、エースが手首痛めてんだ!全力でフォローするもんなぁ!そうだよな。

俺はキャプテンとしてこの代のキャプテンで、本当に良かった。頼りないキャプテンだったかもしれないけど、ついてきてくれてありがとう。

よっしゃ行くぞ!ワン・フォー・ザ・オール・ザ・フォー!オール・ザ・ワン・フォー・ザ・オール!フォーー!」

このキャプテンの言葉を、この代のチームメイトは一生忘れないだろう。

結局試合は0-9で負けてしまったけれど、この代のこの試合は"雨の一回戦"として後輩にも語り継がれていってほしいものだ。

 

 

これは確実に雨ノ介のおかげで印象に残った試合になったということで、そういう意味では雨ノ介も思い出のメモリー作りに一役買っているも同然と言える。なので雨ノ介だからといって藪から棒にキャンキャン言わずに、雨だからこそ印象に残ることもあるということを分かれば良い。