破壊光線午前二時

 

彼はまるで破壊の神にでも見初められたかのように午前二時の炸裂の最中、震える光線が暗黒を貫く。そう、このセクシー路線の最中、震える光線がピュンッ、貫く。彼によって貫かれて時間、空間、そして自由意志の彼方、直線のみで構成された不穏な夜を蹴散らし、新たな夜を構成すべくのピュンッ。って。

 

「白き賽は投げられたーーー。」

 

まさか私が遅めの行水を経ている時分にそんなことが起こっていたとは。

ガオン。ガオン。ガオォンの。窓の外から破壊光線の音の聞こえる。

 

「私がその気になれば、君の住まう街くらいパッと消し飛ばせられることも出来る。」

 

これが彼の口ぐせであった。それは、今現在その気になっていないだけであって、その気になればマジで私の住まう街、愛するこの街くらいパッと消し飛ばせられることが出来る、といったことを絶えず叫んでいた。そしてパジャマのままで出かけていった。まさかこんなことになろうとは。

ガオン。またひとつ、破壊光線が放たれて。

 

「私がその気になれば、君の住まう街くらいパッと消し飛ばせられることも出来る。」

 

何故この言葉に込められた彼のメッセージを私は紐解いてやれなかったのであろうか。

彼の心からの悲鳴に、慟哭に、何故に気付いてやれなかったのであろうか。

私の住まう街をパッと消し飛ばせられるということは、逆に消し飛ばせずに居ることも出来るということで、「その気になれば」という宣言からも分かるとおり、今はそんな気はさらさらないということで、しかしもしも何かしらあった時には"その気"になって私の住まうこの街を一瞬にして消し飛ばせられられるということで、しかもそれは彼の特技である破壊光線による消し飛ばせらであることは明らかであったというに、私はそんな彼のイヤンイヤン感、プルンプルン感に全然気づいてあげる素ぶりも見せずに愛するマンドラゴラにひたすら愛情を注ぐ日々でありた。なぜ愛情を注ぐかというと、それは愛しているからである。

 

そんな逡巡の季節のことである。こんな見出しが紙面に躍ったのは。

 

「野崎さん、かなりの食い逃げ!(半年ぶり、12度目)」

 

もう市井の人々もさすがに野崎さんの食い逃げには興味が無くなってきているというのに、メディアは嬉々として野崎さんの食い逃げニュースを取り上げ続ける。

ワイドショーで偉そうなコメンテーターが踏ん反りつ言う。

「これはもう、そう。食い逃げという名の水掛け論だよね。もしくは食い逃げという名のマッチポンプなのだから。いずれにせよ、今宵は私のブックのステキな発売日で、それが伝えたくて。」

此奴に、こんな奴に、野崎さんの食い逃げの何が分かるというのだろう。野崎さんの食欲の何が。塊のアレが、分かるというのだろう。

もう野崎さんが前とは違っていることに、此奴だけは気付いていないのだ。

 

ガオン。

 

破壊光線の夜が終わらない。街がどんどこどんどこと消し飛ばせられていく。明日からみなどこで暮らせばいいのだろう。

 

ガオン。

 

彼にとって街は病であった。

彼にとって破壊光線は薬であった。

野崎さんにとって金欠は病であった。

野崎さんにとって食い逃げは薬であった。

誰も彼らを責めることなど出来はしない。

 

ガオォン。

 

 

それは、夜が逝ってしまうほどに。