
かつては行き交う全ての人々から「4人が揃えば、ね。」と良くも悪くも言われていた私たちは、いつから揃わなくなったのかな。
"花のこの4人組"と山崎(クソ人間としてここらじゃ有名な山崎)に勝手にあだ名を付けられて激怒していた過去も今のとなっては過去だし、やはりそれぞれに違う道を歩み始めてからはそう簡単に揃えなくなったという贖い難い事実もあるのこと。
毎年一度くらいは「また4人揃って、ね。」みたいな話はどことなく(雰囲気として)あるにはあるが、結局微妙にスケジュールが合わずに1人欠けたり2人欠けたり、しかし私たちは4人揃わなければただのチンカスでもあると山崎に言われたこともあるのとおり、4人揃わなければただのヘゲタレのポンポンピーでありますので、そこは是非4人揃いてみたい、そうありたい、と切に願っているというのは事実のこと。
しかしまああれほど熱き時代を共にした私たちと言えど、住処を違えてしまえばこれほどまでに揃うのが難しくなるというのには驚きを隠せずにいるな。やはり気軽に揃う為には日常不断の努力と、生活圏が互いに近所であることが重要になってくるのだなということが分かりやすく分かる。
そりゃあそうだろう。だってそもそも生活圏が近所でなければ出逢うことも難しくなってきますから。少し知識を披露いたしますと、総人口約1億人強の中から4人が出逢いそして揃うとなればそれは2500万分の1の確率になるかもしれないし、或いはならないかもしれない。ただ、もしこの計算が間違えているとして私たちは全くそのことに関して恥じもせぬし謝りもせぬが、たとえばそんな確率であるかもしれぬということを分かって欲しくてたとえたまでで、こんな風に突如として算数の知識や統計学の知識を余裕で持ち出し吟味して話し合えるような、そんな4人が揃わなくなって幾年。随分大人になってしまったよな。
よくアホが「ったく、おめぇらはあの頃となぁんも変わらねぇな!ずへへへ!」なんつって青春時代の思い出に寄りかかるような真似をして居酒屋で大盛り上がりしているという非常に羨ましい光景に出くわすことがありますが実際には、あの頃と変わらない、と口でどれだけ言おうが別々に過ぎていく時間の中で皆それぞれに社会に揉まれて回されてガチガチに固められて、なんならあの頃と同じところなど何一つ無いと言ってよいレヴェルで、しかしだからと言って「ったく、おめぇらはあの頃とは基本的に丸ごと変わっちまったな!どほほほ!」なんてことを言ってしまうと、揃えなかった期間が長ければ長いほど、よく考えたらならば何故変わってしまった今あえて再び揃ったのだろう。揃わずとも何不自由無く各々が暮らしている今。意味わかんないよね。となってしまって淋しさが募るのみになってしまう為、そこはあえて皆で"あの頃と変わっていない感じ"をあえて演じて醸し出して久方ぶりも甚だしい、正直何を話していいのか分からない集いがせいぜい盛り上がるように切磋を琢磨しているのである。それでも旧友(現在の生活と全く関係の無い)と再び会うのは、それは思い出話が出来る、学生時分の気分に戻れるという一種のタイムストリップがしたいからなんじゃないかな。
便りが無いのが良い便り、とはよく言ったもので私たち4人が今揃わないのも皆が皆それぞれに良い便りのような生活を送れているからで、わざわざスケジュールを合わせて会って思い出話に花を咲かせるよりも、現在の生活に十分満足しているからで、むしろ「むしろ揃えば?揃ってみれば?」とわめき散らしている者も居てもおかしくはないが、それも居ないということはその者たちすら良い便りのよな生活をしているということなのかもしれぬよな。
は?