
私の記憶が確かなら、あれは未だ私がものすごく若くて、漢字の一文字も書けないスカスカの脳みそをしていた可能性の高い時分の話であります。
その頃、私の心は水のようでした。
流れ流れて沸かされて、注がれる容器によってその形を自在に変え、気体固体液体、自分は何者にでも成れるということをしみじみ思い、そして束の間のスパークリングを楽しむような水の。
そして何より、ほんの少しの墨汁を垂れただけでモッスラと濁ってしまうよな絶え間ない存在な、それがあの頃の私です。
あれを拝見したのは丁度そんな移ろいやすい私であった頃でした。そう、あのアッパーカットを。
アッパーカットというのは読んで字の如くカタカナの技なのでございますが、簡単に言うと相手のジョー(アゴのこと)目掛けて拳を下から上にパーンッ!てやることのことで、当然その際より大きなパーンッ!という音を出せた方が後々随分と有利になるという技で、まともにくらうと物凄く痛いという特徴がある技で、さっきまで普通に話していた相手が急にアッパーカットをしてきた場合には存分にキレて良いという技で御座います。
そんなアッパーカットの技を私が初めて見たのは私が今よりずいぶんとモッサリしていた時のこと。ウエストポーチに夢だけ詰め込んでタンブルウィードと共に荒野を駆けずり回って大騒ぎしていた柔らかな時代のこと。
当時、キャベツとレタスの区別もついていないようなヘゲヘゲ小便ギャルであった私が、よく考えたらキュウリとニンジンもあまり区別がついていないということに気付いた折、不意にアッパーカットは私の目の前で傲岸不遜のカカマンゴ、正味のババオが回転焼き屋で不正行為の憂き目に遭ったようなデュラルミン感でもって暁闇間もない空に放たれたのです。
そう、アッパーカットとは青春の影法師。ボーヤだった自分にセイグッバイして少し大人の、哀しみを肴に呑めるような大人になるための通過儀礼、赤い幻、それらが私にセイハロー。
下から上へと突き上げの、下克上際立つパンチング也。もしも田代が家を建てたなら、そのピカピカピンの床の上にて鯛の塩釜焼きを砕いて差し上げよう。もしも田代が車を買ったなら、納車したなら、そのツルツルリンのボンネットの上にて鯛の塩釜焼きを砕いて差し上げよう。そんな気概に溢れた男の中の男のパンチング。一撃必殺のニューカマー。
「ヲイー!このピカピカピンの床の上で誰か何かをこぼしたりはした?床の上がザリザリになっているんだよー!(泣き)」
「ヲイー!このツルツルリンのボンネットの上で塩を釜みたいにしたようなヤツを砕いたりした?ボンネットがザリっているんだよー!(大泣き)」
田代がいくらわめこうが叫ぼうがそんな声は誰にも届かないし、届いたところで誰も同情しなければ助け舟も出さない。田代は三千年の孤独の中でポリゴンだらけになって漂っているところを下の者からアッパーカットの憂き目に遭うのだね。そして広い世界にひとつの安寧の響き渡る。
そんな盛者必衰の怒りの鉄拳アッパーカットを私が初めて見学せしめたのはいつのことでしょう。あの頃たしかに私の心には煌めきがあって希望があって、西成の町で怒鳴るようにスキャットをするオジ様達を尻目に殺して犯した罪を癒していた時分の昼のひなかの一丁目。
満たされていないわけではない。でも何かが足りていない。し、その足りていないものとは、何か私にとって決定的なものである気がしてならない。
そんなマスターピースを探して当て所なくさりげなく町に山にとハツラツと歩き回りて何か自分自身のユニフォーム的な、アイコニックなサムシングを求めて荒れ狂いたるはあの日の自分の。の、目の前で猛然毅然とバコ放たれて私を狂ったようにドライヴさせてくれたのは何だったであろうか。パンクの初期衝動でもって私を沸騰させ、興奮の渦中に放り込みてくれたりは如何なパンチングであっただろうか。
そのパンチングとはそう、アッパーカットであり、そしてアッパーカットそのものであった。
実在するパンチング、それはアッパーカットそのものなのです。(原文ママ)
存在するパンチング、それこそがアッパーカットなのだなあ。(原文パパ)
それは在りし日の七光り。分福茶釜の文句垂れこうべ。中野ブロードウェイのならず者といった風情で三千世界の彼方から打ち込み放たるるはアッパーカットなりや。
そんなアッパーカットを放ち鳴らしてまた会おうぜ。この混沌の中で。
してこの混沌の中で放つはもちろん。