
壁の紋様がだんだらだんの部屋にて気概、テンションの少しく下がり、普通ならばこういったストレスフルなマインドの場面であれば「このシュットレシュを何とかせなこれから先ブスな彼女しかでけへん!」とか言って焦りてストレス発散に一目散、驀地なのでありまして、それは散財、それは暴飲暴食、それはオヤジ狩りと多岐にわたるのでありますが、どうでしょう、そんなかりそめのストレスの発散で果たして心は満たされるのでありましょうか。
ストレスを蹴散らすために尋常なる自分では考えられないようなお金の使い方をしたり、吐くまで食べたり、イリーガルな方法でオヤジからお金を巻き上げたりと、普段の自分にはなかなか出せないハードコアな部分を解放してマイナスになった心の気持ちを無理やりプラスに引き戻すようなことをしたとして、そんないちどきの心の気持ちのプラス状態などすぐさ元に戻るますから、つまりマイナスからグッとプラスに持ち込んだ後のブマラマイゼロ、このレンジの広さわかる?それでまた結局はその揺り戻しがどうのこうのなって元居た自分の場所に戻ってきただけであるというのに一度刺激に晒されただけにちょっとやそっとの刺激では足らぬ、ということになりますから、それがまたストレスになりてほたら今度はより多くの刺激のためにより多くのお金、より多くの食物、より多くのオヤジ、オヤジのチーム、とどんどんと過激な方へ傾倒していってそしてまたストレスで、という魔のサークルオブライフが待っているくらいならば木の根を押し込みてみてはどうでしょう。
木の根を押し込むといっても立派に屹立する木のその根をエイヤッと押し込むのはさすがに気が引けますから、既に切られた木、切株の根を押し込みてみてはどうでしょう。
その行為にどういった精神的な働き方があるのかはわかるわけがありませんが、木の根を押し込みた者はみな口を揃えてこうほざきます。
「木の根をね、押し込むまではストレスでそれはもうリスクでポテンシャルな日々を過ごしていたあの頃のまだ小さかった私なのですが、意を決して押し込みてみてどうでしょう。今この私の顔(がん)に可笑しなところ、ストレスフルなところが見当たるでしょうか。答えはノーです。
いや、自分の顔(がん)は自分では見られないのでもしかしたら若干のストレスを感じざるを得ない表情をしているかも知れぬのですがそれはまあいいとして我がマインド的には今のところは何のストレスも感じていない、電光石火のドキンちゃん状態今様ということになっております。
これも全ては木の根を押し込みたがゆえ。優しき獣ゆえ。旧友の嫁がブスなゆえ。全然うらやましくないゆえ。有り難いことでございます。
水面のもっさんという名の友達の中年は、木の根を押し込むことでストレスが雲散霧消すると知ってから、その雲散霧消の感覚を味わいたいがために敢えて靴の中に小石を入れておく、寝室にまとまった量のコオロギを放し飼いにする等の涙ぐましいアホみたいな努力でストレスを溜め込み、それが溢れそうになった折にお気に入りの切株へ向かいて思う様木の根を押し込むと言っていました。
水面のもっさんほどになるとこれはもう明らかに中毒なのでさぞ生き辛かろうとぞ思いますが、それは個人の自制心によるところが大きいので放っておいてあげてみては?何事もほどほどがイチバン!」
終始笑顔で意味不明なことを語るその顔にストレスは一切感じられませんでした。
それは本当に煌びやかな、ナチュラルな笑顔で、嗚呼、この人、いま即死できたら幸せだろうなぁ、と思わせるような光の中に在るようなイケてる笑顔で、そんなに笑顔な分際で自分のことばかり語って私には一切口を開かせぬし、そのずぅと語り続けてくれている話自体も、やれ木の根がどうだ草の根運動がどうだ、そんな感じのボランティアとかの話が多く聞いていて少しも面白くないし、こちらが口の中にて唐揚げを咀嚼していようが御構い無しに現政権のことをどう考えているか等のデリケートな問いかけをしてきたりするし、そんな者と飲みに行くと此方は逆にストレスが溜まり、また、そのような者しか飲み友達がいない自分に対してもストレスが溜まり、嗚呼、木の根を押し込みた。