水中、それは水の中

 

あの頰のこけ具合は、おそらくは青春時代に有機溶剤とはつまりシンナーの方を嗜まれていたと考えて間違いないでござしょう。それ故のあの頰のこけ具合、呂律の若干の怪き具合なのでありまして、これがたとえば竹馬の友とあれば「青春時代のシンナーなんてやめておけばよい。そんなことをして多少トリップをしたところで貴様の真のハイタイムには至らぬであろうし、なんせ悲しいやないか。竹馬の友がケミカルでジャンキーに成り下がってゆく様を見るのは。せめてナチュラルを所望す。」と愛と哀しみのアテンションをおションションするところであるが、これがほとんど知らない人となるとそうはいかぬ。てゆーか、ほとんど知らない人が青春時代に何をしでかしていようが実際マジでどーでもいいし、知らない人には知らない人で今までの人生で多くの哀しみや歓びをその胸に享受してきたはずで、その過程のひとつとしてシンナーがあったわけで、これは知らない人のことを知らない私からすれば注意するのもおこがましいというか、そもそも既に過ぎ去った日々のことを今更掘り返して、

 

「やれお主。お主に言うと正味の話がお主は青春時代にシンナー、またはそれに準ずる有機溶剤入りの何かを、謂わばアンパン遊び的なモーメントをハラスメントしておったのではないか?あかんやないの。あかんあかん。隠してみたって、見繕ってみたって、そのこけた頰でレーバーレーバーのつまりバレバレのバーレーン代表やでしかし。そういうことはやめといて方が良かったのではないかな。正味の話が滑ってるで自分。」

 

みたいなことを諭すように言ったところでいらぬ憎しみをばこの世にまたひとうジェネシスさせてしまうだけで、いらぬ憎しみは大きな諍いのタネとなり、放っておくとこれが後々しっちゃかっちゃっちゃめっちゃかっちゃっちゃとめっちゃかのビートを響きさせることになりナーバス!となりてつまるところが良いことが一つもなく、てゆーか竹馬の友であったとしても青春時代の過ち、つまりアンパン遊びを今更、こんな大人物にお互いにグローインアップしてから諭すように言うってのはもうこれは筋違いの種違い、そんなに言うならなんで当時にアンパン遊びをやめさせへんかったんや、竹馬の友ともあろうものが、という絶妙な話になるのであって、しかもやたらと頰がこけているからといってそれが必ずアンパン遊びの影響であるかと言われると正味の話がその可能性は非常に低く、ただ顔に肉が付きにくい体質であるとか、シンプルにごっつ瘦せぎすであるとか、西の魔女を怒らせて頰の肉を削り取る呪いにかけられているだとか(←全然おもんないけど。わかってるけど)、そんな感じで何かしら体質的な面で頰がこけているという可能性が大いにあり得るのであり、それをばこちらが少ない知識で「ぬ?あの野郎のあの頰のこけ具合を見やれ。あれは青春時代にシンナーをやっていた者のあるアレぞ。」と自由気ままに断ずることの方が罪深きではなかろうか!

 

なかろうか!って言われてもそもそも、頰がこけている=青春時代にシンナーをやっていた、などという方程式が自然な気持ちで完成するる者の方がメズラ(珍しい、いじましい、の意)であり、そうなると逆に、シンナー遊びをする=頰がこける、ということを知っているお前の方が怪きやないかそんなパパスな情報を知っているなんて疑ってええか?ええのんか?と何を疑われているのか判らぬが疑われることとなり、何故か立場は不利で、泣きたくてももう誰もいなくて、そうやってまたひとりの夜が来るってな感じで、何処かに行きたいのに何処へも行けない、そんなつぶさに哀しみのおテンションでもって眠りに落ちるまでのその瞬間まで、ってなことになりかねないのでしばらくは頰がこけている=アンパン遊びの常習者、という断言はこれをやめていく方向でなんとなく調整していこうかなってみんなで言うてます。

 

ただ、ひとつ言いたいのは肩幅が広くて胸板が逞しい者は十中八九水泳を嗜んでいたと考えて間違いないということで、それは何故なら水中という人間が最も不得意とする状況下においてそれを物ともせずバッシャバッシャ、親の死に目にゃ会えずともバッシャバッシャと水中の水を(水中なのだから水をなのは当たり前)掻き分けて泳ぐが故のその胸板の逞しさであって、それはスイミングスクールをやめた後も尾を引いてその胸板こそ残りそやし、天気の良い日にはカスタネットを持って河川敷へと舞い降りてカンカカンカとカスタを打ち鳴らしてその存在を周囲にアッピールすることからも明らかで、私たちのようなド素人なんかは「いやいや(笑)泳げや(笑)」とスイミングスクール出身者に対して簡単に泳げと言いがちですが、カスタネットだってフラメンコギターと同じで、一日でもその鍛錬を怠ると取り戻すのに二年から三年、早い時には三日間もの時間を要するとおっしゃいますから、フラメンコギターのマスターがおっしゃってましたからそれはマジ話であることであろう。

 

それはどうでもいいとして、フラメンコギターのことは死ぬほどどうでもいいとして、つまり見た目でアンパンだのスイマーだの殺人鬼だのビッグダディだのと早計し決めつけるのはあまり褒められたものではないといいますか、てゆーかあんまりやったらあかんよ、という教訓を胸に、胸板に抱いて、たとえばやたらと頰のみこけているからといって、

 

「ふほっ。此奴、さては青春時代にシンナー遊びを嗜んでおったと見た。つまり叩けばホコリのいくらでも出てくるような輩よ。機が熟せば叩いて叩いてホコリを出して、手前もろとも引きずり込むは地獄の其処へ。」

 

 

なんて手前勝手に判断したあげく叩いても叩いても出ぬは出ぬはホコリのひとつ、なんてことになってからでは今まで其方が積み上げてきた業の全ては一息にこれをノンシャランといったことにもなりかねぬ故、充分に注意&ご覚悟のほどよろしくメカドックの奉り候。