ああ言えば for you.

 

主よ、人の世の轟きよ。

私はバビロンでゲッソゲソに陵辱された。恥辱と言ってよかった。そんな私が今このやうにして強めに生きて行けている全ての理由はそう、WE ARE HUMANBIRD。

空に芥、絹にボケ。そんなアレを錦の御旗に人の世の轟きやそのケイオスに対して真摯に、実直に、時に苛烈に、また果てし無く優しく、愛も慈しみもすべて持ち合わせて屋号も元号も、皮膚の色も関係無い。「生きている」ということを前面に出して、引いて、でも出して、そうやって徐々に回復していって、それで今もこうして強めに生きて行けているわけではないですか。

 

我等パオ中32期生4組最強吉ティーメン42coイチ永久不滅よろピクメカドック、ぴくぴく!

そんな風な文言と、クラス一人ひとりの名前がプリントされたシャツを着てスーダララッと踊る感じ、その感じ、その感じを出せて行けているわけで。クラスシャツ、クラTってなシャツのヤツで、それをクラスのメイト全員でお揃いで着ることによって得られるのが結束感、充実感、一体感を得て、得てしてオシッコとかもみんなでワイワイと一緒に行って(断っておくが、オシッコはもちろん男女別で行くのである)そして絆などがガチゴチに強固になったかと思えば季節はもう春で、卒業で。

 

「わたしの、そしてわたしたちのグラデュエイション。」

わたしはこの度、この春、三年間お世話になった中学校を卒業するに至りました。大切な仲間と共に過ごしたこの三年間はわたしにとってまさしくかけがえのない時間で、この中学校で中学校生活を送れたわたしは、おそらく東アジア一の幸せ者だと感じております。若輩者だよと感じており、そして反省はしても後悔はしない、そんな雰囲気がひしひしと伝わって参ります。

わたしは男女問わず友人も多く、ごく稀に「ブス」と呼ばれることを除けば本当の気持ちで、心のボトムで、良き友人、良き学友に出会うことが出来ましたから、そこに関しても大いに感謝さっしゃりまして御座います。

一度わたしが吉田先生に対して本気で「殺す。」と言った際も、友人たちは必死でわたしの殺意を宥めてくれたのです。

「おい、殺すのはやめておけ!」

「まだ人生は長いのだから。」

「ブスでも生きてりゃ良いことあるさ!」

そんな優しい言葉で、狼の子孫が如く激烈に猛り狂うわたしを宥め、そして大好物のおはぎを持ち寄ってきてくれました。

そうこうしているうちに殺意も鳴りを潜め、鼻息こそ多少荒かったものの平常の冷静さを取り戻していたのでありますが、だからといってわたしの吉田先生に対する殺意の炎、紅蓮の炎が消えてしまったのかというと決してそういうワケではなく、それとこれとは別の話で、あれは優しきメイト達に宥めてもらえたからそれで、メイトの顔を立てる意味で急場を凌いだのみで、今もなおいつ何時わたしの中の地獄の犬が目を覚ますかはそれは誰にもわからないので吉田先生、わたしの卒業した後も夜道を歩く際は気をつけなさい。わたしはもう、刺し違える覚悟は出来ている。

そんな具合に多少の遺恨は残す形での卒業ということになり果てますが、なんかまぁ何の爪痕も残さずに卒業せるのもアレですゆえ、このように、わたしの、吉田先生、いや、吉田への狂熱の殺意を残すと共に、三年間お世話になったこの中学校と、そして共に学んだメイトたちと、袂を別つこととなります。

さよなら、そしてありがとう。バーイセンキュー。

 

なんで大学院はあるのに中学院はないの?なんで?なんでやねん?と泣き濡れたあの日の自分に教えてあげたい。

「空に芥、絹にボケ。人の人生は八百八町。人様は自分を世に映す鏡のようなもので、そうではなくて。だからこうしてウロウロしつつもちょっとした真実みたいなものを見つけてハッピーネスになっているワケで、それが涙の朝でもかまわないさ、哀しみの夜でもかまわない。どうにかこうにか何事も誤魔化せるような、そんな器用な者に成り下がりなさい。騙し騙しで世を泳ぎなさい。俺はそれで良いと思う。」

 

そしたらあの日の自分は何て言うかな。どうかな。