待っちゃん

 

お釈迦は産まれ落ちたその瞬間に七歩歩って、どちらかの手で天、そしてもう片っぽの手で地を指しこう言ったそうです。

 

「天上天下唯我独尊。」

 

産まれてすぐにこんなにイキり過ぎなことを言ったなら、普通なら周りの大人が、産まれて10秒ぐらいで何をエラそうなことほざいとんねんボケナス。もっぺんオカンの胎の中に突っ込んでフタしといたってもええねんぞ。とブチ切れの末に大泣き、そして時間が余れば皆んなでカラオケオールも考える、といった修羅の巷になることは火を見るよりも明らかなので御座いますが、これがお釈迦となるとそんな大騒動が起こる筈もなく周りの大人も関心して納得も得心もして素直にこれを受け入れ、摩耶夫人の右脇から産まれてきたというどう考えても尋常ではないヤベー事実や、産まれてすぐに七歩歩くという驚異の向上心や、ましてやごっつい難しい言葉を話せることについては全くノーリアクションでこれにはお釈迦も「今イジらへんかったらいつイジるのだろう。もう笑いの間では無くなってるよね。」と思ったとか思っていないとか。

 

ついでに同じポーズでもう一言、

 

「夜露死苦。」

 

とも呟いてみたそうですが、これに関しては周りの大人達がお釈迦の誕生と、そして誕生するやいなや起こしたミラクルに対しブチ上がっていた為誰も聞いてなかったといいます。

それでも数人の大人はこの狂乱の最中、お釈迦が再び何かを呟いたことに気づき、「今何か言いました?」と聞き返したらしいが、わざわざポーズまで決めて言った「夜露死苦。」をポーズも決めずに平場で、シラフでもう一回言うのはお釈迦とはいえさすがに恥ずいし、また、そんな雑なフリでもう一回同じことを言うというのがどれほど恥ずいことかということすら分からない大人たちの、解ってなさ、に対して若干イラついてもしまったので、なんとなく髪の毛に付いた羊水とかを拭いながら、いや、そんな大したこと言ってないから、とぶっきらぼうに言うのみに留めておいたそうですが、お釈迦自身もこの時の自分の態度に対しては若干後悔しているようで何故なら今自分がとってしまった態度により明らかに空気がピリついたしまったので、もし今の一連の出来事が「釈迦のイキナリのぶっきらぼう」とか言われて故事として残ったらどうしよう、語り継がれていずれ教科書とかに載ったらどうしよう、と考えたからで、お釈迦は「え何?今のって俺が悪いの?」と若干不服ではあるがこの空気を変えるために仕方なく、

「なーんちゃって!バーイセンキュッ!」

とか言いたくもないことを伸ばして揃えた両手の指先を頭頂部に弧を描く感じで突くようなおどけたポーズを決めつ言いて、なんとか、このあわやゴリスベりしかねない捨て身のアタックで無理やり空気を変えたとか変えなかったとか、変わらなかったとか。

 

そんな感じでお釈迦の誕生に関しては様々な学説がポイポイの侃侃諤諤、西新宿のサムライソードの異名を取るおじさんを中心に日夜子ども同士の喧嘩のような議論が繰り広げられているそうで、それはそれはやかましく、見ているコッチが疲れるとのことです。

 

逆に俺の誕生のエピソードについてはどうでしょう。

世間的にあまり騒がれることのない俺の誕生のエピソードですが、俺にも実は誕生の際のミラクルなエピソードがあったということを皆さんはあまりご存知ないのではないのでしょうか。

それもそのはず、何故なら俺はお釈迦ほどの有名な著名な人ではないし、なんなら幼馴染のよっくんにすら俺のこの誕生のエピソードについて語ったことがないので、すなわちアウトプット出来ていない、IN MOTION 出来ていないということに成り果てますよってに、それを良いことに今まで沈黙を貫いてきましたがとうとう語るべきな時が来たのかなって思って、悩んだこともいっぱいあったけどやっぱり自分の気持ち?正直に言うべきかなってよ。

だから話すよ、僕の誕生のエピソード、驚愕のエピソードをさ。

 

まず俺はお母様の股から産まれてきた。ここがまずお釈迦と違うところなんだな。お釈迦はご存知のとおり摩耶夫人の右脇という尋常ではないところから産まれて来たワケでありますが、俺はそこは機転を利かせて、ちょっとしたサプライズも兼ねて股から産まれることにした。

そして産まれ落ちてすぐに八歩歩いてやろうと勢い勇んで挫折して(思えばあれが、人生初の挫折だったかもしれぬ)、六歩歩って一言。

 

「待たせたな!」

 

当時の様子を知る大人たちは皆口を揃えて「あれはロックだった。」と回想する。産まれたての赤子(俺)が大人たちに忘れかけたロックの炎をぶり返させたワケである。

それからというもの、俺はまさに空に芥、絹にボケ。迦陵頻伽なこのケイオスに全く臆することなく、それこそロックの火の玉と化してある程度まで突き進み、して今のこの感じに至るのです。

 

これをお釈迦と比べて如何に捉えるかは一人ひとりのこんころもち次第で、それは俺が強制することではない筈であるし、よしんば強制的に俺をお釈迦よりも崇め奉れと宣うことなどおこがましきにも程があるということでやり切れないし、そういった悲しみや苦しみが癒されるとすればそれは唯一時間にのみよることで、逆に言えば我々は時間さえ経れば過去の痛みも、ボロ切れのようになった心も、いずれは元のようにつるんつるんのピキピキに戻るものであり、それが頼もしくもあり、余計に哀しくもあって。