俺の星雲に来いよ

 

夏の大三角形のベガ、アルタイル、あともう一つで描かれるこの夏の大三角形のその見事な大三角形を見上げつつ宇宙(そら)に想いを馳浩。

何のアレも無かったこの夏にこのようなシャングリラな時間がまさか訪れようとは、つくづく人生とは何が起こるかわからぬものであるし、何かが起こった時にすぐに対処出来るように常に備えを怠ってはいけないのであるよなぁ、と心の気持ちで想いて、そして同時に、地球が失くなったらこんな風なマンドラゴラな時間も過ごせなくなってしまうので、つまり俺と地球は一連托生で、なんなら銀河系が失くなればこの夏の大三角形はじめ素晴らしい天体ショーも拝見せれなくなると思うともはやマッハ文朱、俺は銀河系ともや一連托生なことであり、そう考えたら人間や動物、海や空、みんな繋がっているんだなぁこの銀河系のファミリアの。みつを。

 

なんだか大きなものに包まれて守られて、たまにイジられたりとかして、少々キツめのアップかまし気味のツッコミとかもオッケーな関係性になってきて、卒業と同時に疎遠になってはしまったものの今でもたまにファックスを送り合ったりする仲みたいな、銀河系と私の、私たちの在り方がね。

それに感動して断罪して、ガリガリ且つ丸坊主のオバハンとかたまに見かけるけどそういった人を街で見かけた時みたいな気持ちになって、「あ、気持ちぃ~。」てなるよねそりゃあ。サウナ入ってる時みたいな?だから今こんなに気持ちが穏やかなのだから。とっておきの気持ちなのだから。

 

なぁんて少しおセンチっちゃあおセンチに、アグレッシブっちゃあアグレッシブに、ブとかヴとか、過ぎ行く夏の夜を錦な気持ちで風に吹かれて見上げる夏の大三角形の中には突如として雲が湧きてそれはまるで嘗て見たことがある人の顔のような形を形取って「え?だれ?」とか思っていたがやがてそれが誰の顔なのかわかった。

それは現役だった頃の馳浩。口ひげを蓄えた馳浩である。

 

夏の大三角形の真ん中に浮かぶ雲で出来た馳浩の顔。ハッキリ言って邪魔ではあったものの、夏の大三角形の真ん中に馳浩という画は今後の人生でもまず見られない貴重な画であろうかと思うし、また、もう一度見たいとも思わないのであるがせっかくなので星と馳を脳裏に焼き付けて、さてそろそろ馳も邪魔なことやさかい帰ろうかと思いて立ち上がろうとしたその時である。

大三角形の真ん中に浮かぶ馳が大事なことを私に語りかけてきた。それは音ではなく脳波というか、テレパシーというか、そんな感じの空気の振動を伴わないメッセージで脳を手で触られているようで少し気持ち悪い気持ちになったのであるが、船酔い的な、大事なことを私に語りかけてくるのでそこは我慢して、私は断腸の思いで馳から送られてくるメッセージに耳を、脳を傾けることにした私は。

馳曰く、

 

「俺の、俺の星雲に来いよ。」

 

馳は笑顔で私のことを自分の星雲に誘った。聞くところによると馳の星雲は夏の大三角形のちょうど真ん中に位置しており、天気が良い日には地球からもその姿を観察することが出来るし、逆に言えば馳の星雲からも天気が良い日には地球を観察することが出来るのでホームシックになる心配は全く無く、福利厚生もしっかりしているし今時の星雲には珍しいことに全部屋セパレートだというから驚きだ。別荘感覚で遊びに来てそのまま住み着くも良し、本気で地球という名のバビロンから脱出して永住するも良し、失恋の傷が癒えるまでの間だけ傷心旅行的な感じで来るのは無し、馳の星雲にしか存在しない「ハセニウム」という物質(何の役にも立たない)の買い出しにだけ来るのは無し、とにかく一回馳の星雲に行くとその魅力から地球に帰還(か)える気持ちは消え失せ、目の前に広がる星の海を眺めながら全てを超越した存在にやがて成り得るまでの時間を悠々と暮らすことが出来るそうだ。

 

私が馳の星雲に行くことに対して全く何の魅力も感じなかったかと言えば嘘になる。

行ったら行ったで今とは比べようのない位に、この地球にあっては比べようのない位に穏やかな日々が待ち受けているのは明らかであろう。

しかし、様々なしがらみがあってもなお、この地球という星に対して私は期待してしまっているのだ。いつかこの星に生きる歓びを存分に享受させてくれることを。

産まれてきて良かったと思わせてくれることを。

だから私は馳の星雲に行くことを断って未だここ地球にてスヤスヤと寝起きしているのである。いつかこの選択が間違いでなかったということを自信マンマンお色気ムンムンで宣える日々が来ることを信じて。

 

「俺の、俺の星雲に来いよ。」

 

 

馳、いつか行くよ、君の星雲に。必ず行く。だから百万年後にもう一度、俺を誘ってくれ。