
シグマのカッケのサンカッケー、故に彼奴とゼロカッケー。打席に立ちてのこんにちは。
洋上に浮かぶ一隻のタンカー。その甲板に立つと、目の前には大海原が広がっており、まるでここが洋上であるかのように錯覚してしまうという。
「洋上を嘗めてもらっては困るな。嘗められたらすっごいイヤ。イーッてなる。なるなる。だからこの航海が終わるまでは常に洋上にいるようなつもりで、嘗めずに、海の幸の優しさありがたさを感じつつの行動出来ますように。俺が。」
最後、「俺が。」という時に彼奴は、拳を握った状態から親指、人差し指、小指の三本の指を立て、手の甲をこちらに向けたまま肘を直角に折り曲げた。
彼奴なりのそれが決めポーズであることが猫も杓子も理解できるわかり易き決めポーズを戴いて、嬉しいし、楽しいし、でもその嬉しさ楽しさがこのまま一生続くなどということなどあり得ない、時間が流れているかぎり永遠なんて無いのだから、と心のどこかで理解はしていますから、そこに対する切なさみたいな感情もひと匙程度あって、しかしそこがこの独特の感覚の正体なのかもしれないな。
しかし改めて、吹き抜けるこの乾いた気持ちの良い風の量を感じると、この独特の感覚は彼奴の決めポーズの成した所業、またそれを一通り見学させてもらって嬉しい楽しいなった俺の成した所業ではなく、単純に夏の終わりを感じてあるという気持ちの気持ち、生粋のセンチメンタリストであり、人一倍情緒が不安定で感性豊かで、幼少よりめちゃくちゃ高度な情操教育の実験台にされてきた俺の、そんな相変わらずなセンチメンタルがしとどに薄ら広がっているが故の奇跡の逆転劇であるようにさえ思える。
いずれにせよこの気持ちの気持ちが呼び起こされるようになった引き金が彼奴の決めポーズであることは間違いなさそうなので、そこに対しては彼奴に対し寛大な気持ちでもって存分に感謝をする必要がないワケないので、そういうのをちゃんと伝えるタイプで俺。
だからちゃんと、その決めポーズかっこいいね、ということと、その決めポーズのおかげで独特の感覚が呼び起こされ、何か言葉には出来ない大切なギフトをもらえたような気がしたこと、そして、機会があればまた決めポーズをして欲しい、ということを実るほどこうべを垂れる稲穂だよねってことで異常ともいえる平身低頭でつぶさに伝え哭いたよ。
彼奴はそんな私の言葉、素直な感情の発露に少しく恥ずくなったようで、だけれど少しく誇らしそうで、その仕草はまだお互いに出会っていなかった少年の頃の彼奴の面影を想像させるに易く、此方人等またもや独特の感覚になりて彼奴の返礼的なアレに耳を傾けるに、
「いやいや、決めポーズ?ああ、これ?(件の指の形を、肘の角度を、する)ああこれね。これか。ここらじゃコレが当たり前なんだけどね。決めポーズとか言われたのは初めてで、正直ちょっとどうしていいかわからないのだけれども、コレが普通というか、でもまあ何だかんだやけに感謝してくれているというのは伝わっているので、此方こそありがと。(またもや件の指の形を、肘の角度を、する)でもここらじゃコレが当たり前だけどね。」
彼奴曰く、この決めポーズは"シグマのカッケのサンカッケー"という決めポーズ名らしく、「仲間である。共にあれると感じている。がんばれ、とかも思っている。感謝の気持ちもこもってるし、心が幸せな状態であることも表している。期待もしてる。」という意味の決めポーズらしい。
意味が多すぎて若干ブレるよなぁ、とかはしかし誰も思っていないらしく、彼奴含めここいら辺の若きヤング集団は軒並みこの"シグマのカッケのサンカッケー"で互いの友情を確認し合って日々を泳いでいるそうだ。
「サーベルタイガーという意味もある。」
そうも言っていた。
洋上に浮かぶ一隻のタンカー。その甲板に立つと、目の前には大海原が広がっており、まるでここが洋上であるかのように錯覚してしまうという。
そんな甲板の上で、彼奴と暫し永遠を見落とすような会話を交わした。決めポーズも教わった。