大君

 

大君世に在りて泰平。排熱ファンにホコリ溜まりて憂鬱。親父の学生時代のアダ名が"或いは湿地帯に生息する虫のような"という何やらフランス料理の料理名のやうな、やけに長ったらしく尚且つ確実に悪口であることが分かるようなアダ名であったと知りて躁鬱。

 

大君が世に在ってくだすって本当に良かった。本当に良かったと思ってるし、思ってるんだよね。助かってる。

でもそげな人任せの泰平で果たして良いのでしゃうか。そんなことでこの涙の河を泳ぎ切っていくことが出来るのでしゃーか。

ハッキリ言ってそれは微妙であると思う。

矢張り人間にはそれぞれに自分の理想的なビジョンでもってその泰平を目指さんければならぬし、大君の御心が幾らヘクタールとはいえ、それを好い事に己が泰平の全体重を大君に預け当然自分は何もせず、それでいて世に不穏な陰でも堕ちようものなら「あれあれー?なんか大君さぁ、最近調子悪い感じ?ちょ頼むっすよー。明日自分バーベなんすよバーベ。それまでになんとかかんとか世をブチアゲといてほしいんだなーつって。」なんて大君に対してまさかの、この、指摘的な?アレを?するような輩も存在しやがってからにぃー!(プンスカ!忿怒!)

 

さすがに最近は世がそういった大君を軽視する傾向がドイヒーになりすぎているように我は思ほゆ。思ほゆってる。

それはある意味では大君がスッカリ世に人に馴染み、お馴染みの、そして愛し愛されて、世のマスコットキャラクターのようなそんな稀有な存在へとなり得ているからそれはそれで喜ばしく微笑ましい、ホッコリすることであるといえばあるのだけれど、やはりそこは、あのね、崇め奉れとは言わないんだけれども、ある程度の線は引いておいてもらはないと世がえらいこっちゃになりますから。ドスケベだらけの世なんて御免だろ?

 

その昔、私が"第三京浜の青山テルマ・ハルマ"と呼びそやされていた頃なんかは良かったですよ。みんながフィーバーしてた。みんなが自分の持てる力出してフィーバーしていたよ。

今の世はどうでしょう。フィーバーはおろかミーバー、またはバオバーすらしている者も久しからず、道を行けばやれ汗と涙だの、血の滲むような努力だの、毛穴ごっそりシートだよ。そうだよね。

かといってそれが悲しい事かと言われれば別にそんなことは無くて、それはそれで先人達がそれなりに頑張ってくれよったが故の結果であるからそれをね、無下にね、平和呆けだの何だの言うのは簡単なことで、平和呆けを「平和呆けである。」なんて断じている輩も結果的にはノリ的には平和呆けしているワケですから、そんな常に臨戦態勢な物騒な者、見たことないでしょう?

ちなみに言うと僕が"第三京浜の青山テルマ・ハルマ"と呼ばれていた頃なんかは他にも"産業道路沿いのジョリーパスタ"、"環八の赤いウエストポーチ"なんつって強豪ひしめくドッペルゲンガーでありましたから、だからこそ僕自身も一人ぽっちのロンリーウルフなのにも関わらず"テルマ・ハルマ"などといったコンビ名のような異名を授けられていたワケで、その事実からもいかにあの時代が戦国時代であったかということが理解っていただけるかと思います。

 

そうかと思えば俺の親父は"或いは湿地帯に生息する虫のような"という一服の清涼剤が如くサワデー溢るる個性的なアダ名を頂戴していたといいます。しかもこれは親父から直接に聞きたワケではなく、アルバイトで入ったガス器具工場に偶然にも親父と高校時代に同じクラスであった「出本」というオジさんがおり、その出本に、

「おい!あなや、アナルらし、自分アレらしいな、或いは湿地帯に生息する虫のようなの倅らしいな。びっくりしたわ!確かに瓶底眼鏡掛けさせたら或いは湿地帯に生息する虫のようなに似とるかもわからんな!髪もちょっと伸びた丸坊主にして。天パの感じとかホンマよう似てるわ、或いは湿地帯に生息する虫のようなに。写メ撮ってええ?」

と言われたことがキッカケで親父の学生時代のアダ名を知ることとなったワケである。

聞けば一発で悪口と理解るそのアダ名であるが、果たして親父がいじめられっ子であったかというと、出本曰くこれがそういうワケでもないらしい。

 

親父は至って目立たぬタイプで、勉強も出来なければスポーツも出来ない、ムードメーカーでもなければ不良でもない、つまり特筆すべきところが何もない全然おもんないヤツで、イジメるイジメられる以前にクラスの中で空気のように揺曳しつつただ存在していたようなタイプであるらしく、何なら空気の方が酸素を含んでいるだけまだマシみたいな感じであったらしい。

そんなことを倅である俺に告げる出本もどうかと思うが出本が続けることには、親父はこの、或いは湿地帯に生息する虫のような、というアダ名を突如として命名されたらしく、それは或る晴れた日の朝、親父がおニューの瓶底眼鏡を眉間にかかる質量を存分に感じつつ登校すると、教室に入るやいなやクラス一のイジメられっ子である「出元」というメイトにビッと指をさされ、

「君は、或いは湿地帯に生息する虫のような。」

と告げられたらしく、それを面白がった出本らクラスメイトによりかようなアダ名がついてしまったそうである。

それ以降も出元はクラスメイトのワル達に消しゴムを食べさせられたり事あるごとに小突かれたりと平常通りの散々な日々で、特に親父とも関わることもなく卒業して離ればなれで。

 

出本曰く親父は"或いは~"という以前にもアダ名が付いていたそうであり、それは「キモ猿」という身も蓋もないものであったらしく、親父としては"或いは~"の方が確かにちょっとマシっちゃあマシかな、と思う日々もあったであろう、とのことであったが、何故出本に親父のそんな感情の機微が理解るのであろうか。

 

親父の学生時代という、頼むから知りたくないような軋轢の日々をいとも簡単に倅であるこの俺に嬉々として語る出本に。