
いつも心にアナキンを。
スズメの心は母心、いつも心にアナキンを。
空母の母体に孫請け会社、いつも心にアナキンを。
そんなこと、あってたまるかよなぁ!
あれ?そんなことない?
つーことはこれが、今生の至上の。うっへっへっへ。
「だってあいつら嘗めてるもんよ。俺らをよ。嘗められたら嘗め返すのが俺らだもんでよ、そりゃそうなれば拳の一発くらい出らぁよ。それで揉めた揉めなんだはそれは結果論であって、先に嘗めてきたのは向こうやからよ。だからそれは結果論で机上の空論よ。九龍城よ。」
上記は典型的な心にアナキンが居ない、つまり心にポッカリ穴空き状態でありこれを、心にアナキン亡き故にアナアキ、と呼んでバカにしても良いことになっているがそれは無視するとして、何故心にアナキンが居ないとアナアキ、つまりアナーキーになってしまう、パンクなことに成り果ててしまうのかというと、やはり我々は心にアナキンを居させることによって精神的に平衡感覚の取れた大人者に成れるのであって、平衡感覚の取れている人間とあればこれはもう何をやっても百発ゼロ中のスカタン・スカイウォーカーと成りて、あかんやんけ、という風に言われてしまうワケじゃないすか。
じゃあ心にアナキン居なくていいさ。
それで君が満足できるなら僕はこれ以上何も言えなくて、切なくて…というのはまあ大げさではあるけれども、風呂敷広げて過ぎた感はあるけれども、でもそれではお前のマブいのはお前に振り向いてくれないのではないかな?どうかな?
「あいつらに嘗められたとして、それのどこがアレなんだろう。だって嘗めてるかどうかはその嘗めてるっぽい本人に直接聞いて如実に感じないとわからないことだし、そして直接聞いた挙句やっぱり嘗められているとしてそれのどこがアレなのだろう。心にアナキンが居ることで、豊かな森のような気持ちの気持ちに成れてる。すごいね。」
いつも心にアナキンを。