
十で神童十五で才子二十過ぎればただの人。
うっさいってマジで。黙っとけって。黙ることを覚えろって。教育受けてこいって。
二十過ぎればただの人、って言うてる時のお前の顔、めちゃくちゃ穢なくて、嗚呼、人間って誰かを貶める時にはこんなに醜く穢れた表情を添えているんだな、って。俺も注意せなあかんわって思ったのよ。情けないわ。十ですでにただの人である者が多い中で、お前だってそうだろう、十で神童である時点ですごいではないか。我々凡人との違いがギョインギョインに発揮されていて素晴らしいではないか。十五で才子ってのもすごいよね。五年の月日が流れてもまだ秀才であることは変わりないわけですから。高校受験に不安ファクター無しってことですから。
そしてやがて二十を過ぎてただの人になる、と。
素晴らしきことではないか。なかなか真似できないことではないか。ソフトランディングも甚だしいとはまさにこの事ですよってに。
高校受験の時は持ち前の才子感でなかなかの進学校に入学して、そんな秀才のなかで自分の才に僅かに翳りが見え始めているのも才子であるからこそ自分自身で気付けて、それで自分の実力に見合った大学を受験して、それだってそこそこ良き大学ですよ。ただの人では入学出来ないような。
そして大学でもゆっくりとゆっくりと、グライダーのように、ただの人、という落とし所に軟着陸して、エントリーシート書いて、良き大学の出であるからそこそこの商社とか地銀とかにエントリーして、5社にエントリーした内の4社からエントリー返しが来て、エントリーして良かったわ、つって、結局エントリーした内の1社に就職して、祝って、めちゃめちゃ安泰で…。ね…。
それで言うと進藤なんかはまさに神童といってよく、なんや言うたら
「やっぱ最終的に愛やねん。」
といったようなことを八の頃くらいからは頻繁に発言していたの。
「俺って嫌いなパンとか無いねん。全部のパンが好きやねん。好きってゆーか、愛してんねん。包括的に。パン~。」
といったようなことを十の頃にはもうバンバン発言していたのでやはりその頃から進藤は神童やねってみんな納得していたの。
まあそっから先は色々あって大学中退して自衛隊に入ったりして進藤。