今日も今日とてボニシング

 

足りない頭を冷やしてくれ!足りない頭、冷やしてくーれー!冷やして空冷。

ものすごくさり気なく、それでいて毅然とした態度で、冷やして空冷、という小癪な洒落を放ってくる、まるでサブリナが如くシャンとしたオシャレ感に私は暫し打ちのめされた。そして正直に言って私は自分のことが情けなくなった。なんで私はこんなオシャレ感を出すことが出来ないのだろう。なんで私はこんなザッハトルテのようなザッハとした空気感、空冷感を出すことが出来ないのだろう。今、私の出してる感じ、何をするにも肩に力が入ってカクカクしている感じこそが私の全てなら、今夜は泣きぬれてもよろしいでしょうか。動きも何だかガシガシとしており、このままでは世の中から、ガシンマン、というあだ名で呼ばれることもそう遠くはないのでしょう。この歳でガシンマンと呼ばれることはまだちょっとキツいですし、ガシンマンと呼ばれた暁には、サービス精神旺盛な私はそれなりにガシンマンっぽい態度で皆に接する私になるような気がして、今の自分、ありのままの自分を打ち捨てしことになり得る。それが私には辛い。お母さんに言い訳が出来ない。

 

なので考えた結果、ガシンマンと呼ばれるのが嫌ならば、「ガシンマンと呼ばれるのは嫌です。」ということを世間に猛アピールするしかないでしょう。ということだ。

アイ・アム・ノット・ガシンマン。これを世間にガシガシにアピールしていけば良いのである。いや、ガシガシにアピールしてはガシンマン扱いされるかもしれないので、それこそ、冷やして空冷、が如くものすごくさり気なく、それでいて毅然とした態度でアピールそしてPRしていくべきだろう。

 

世の粉の  すべて集めて  ボニシング

 

こういった句が当面の私の活動方針として、金科玉条として輝きを放っていく。真夏のライオンのやり方を熟知していく。挙げ句の果てには過ぎ去った日々のノン・ボニシングを悔やみながら、しかし過去は過去であり現在ではないので大丈夫として、その過去の日々に対して「アナル!あの時こうしていればよかったのによ私。」ということを感じられるということは現在の私つまり現代私がその過去の日々の私つまり過去私よりも幾分ボニシングしているということであるからそれは成長。約束の聖地。飽食の彼方。

 

私が私としてボニシングしていく。

私は私としてボニシングしていく。

烏賊ではなく、私。ボニシング。

 

世の粉の  すべて集めて  ボニシング

 

もう誰であろうと私のことをガシンマンなんて呼ばせない。況してや、やぁガシンマン!だなんて絶対にそれは。でも未だ誰からもガシンマンと呼ばれた経験がない、というのがせめてもの救いであろうか。てゆーか、ガシンマンと呼ばれたくない、というネガティブな動機でアクションをしていくというよりは、こういった感じでいきたい、サブリナが如くシャンとしたオシャレ感でいきたい、それを理解されたい。といった具合にポジティブに、ボニシングに、攻めの姿勢でもってこの世に突っ込んでいく方がもしかしたら良いのかも。

 

もしも貴様がフラリナンと立ち寄ったええ感じの街で、

「やぁ!ノン・ガシンマン!今日もサブリナが如くシャンとしたオシャレ感で。全然ガシガシしてなくて。酸素カプセル入って。そしたら体内のプラスイオンをマイナスイオンに変えてくれるんやって。風邪とか全然引かないって。さすがのノン・ガシンマンて。」

と街中の人から話しかけられている大人気の者を見かけたとしたら、それは私だ。いや、それが私であれるようにがんばる。

 

直接的な応援は今は未だ遠慮しておくけど、貴様の心の片隅に私ががんばって日々を泳いでいることを、夥しいボニシングをザッハしていることを、たまに思い出してくれればそれで良い。ありがとう。