最高のビーチ

 

この時期になると、この時期というのは夏の前、梅雨の最中のことですが、異常によく交わされる議論がありましてそれは、

「お前にとって最高のビーチとは何ぞや。どこぞや。」

というものでありますが、そんなことを藪から棒に友人知人はもちろん知らない人からもガンガン訊かれるこの時期の生き辛さは、梅雨のジメリとした空気も相まって非常に面倒くさい、切ないものでありますよね。

 

ある人が言っていました。

「夏は、終わりがハッキリしているから切なくなるんだよね。」

それを聞いた時、私は素直に、アナル、その通りですね、と思ったものです。

確かに夏は他の季節と違って終わりがハッキリとしている感じがしますよね。ただし、何がどうハッキリしているのか、とイキナリ聞かれてもそんなものは即座にナイスに答えられないです。てゆーかそうやってすぐにパキとした答えを求めること自体がナンセンスであり、それは藪から棒に最高のビーチがどこかを訊ねるような奴輩と大差ないということで、それは自分の脳で何も考えていない証左に他ならず人間としてとても情けないことだということを理解していただければと思いナス。ただスペシャルボーナス的に今回は特別に夏の終わりがどうハッキリしているのかという一例を挙げさせていただきますとそれはやはり、蝉の鳴き声が聞こえなくなってくる、即ち蝉が死に出すのでハッキリしている。ということになるのではないでしょうか。まあこれはあくまで咄嗟に考えた(3秒で考えました)一例であってもしも私が本気で時間をかけて考えればもっと良い例がたくさん出るのですが、それはまあ置いといて。

 

そしてそんな「夏は、終わりがハッキリしているから切なくなるんだよね。」みたいな名台詞を聞いた暁にはやはり誰かに言いたくなるのが人の性であり、しかもまるで自分が考えたかのように、私こそがその台詞の生みの親かのように言いたくなるのであって言うてみましたよ。誰に?私に藪から棒に最高のビーチを訊ねてきた知らない人に。

 

「最高のビーチ、最低のビーチ、色々あるけどよ、結局は何処のビーチへ行ったって、それはお前と、そしてお前の仲間たちにとって"最高"の夏のメミリーになるんでないのか?だからわざわざ俺みたいな知らない人にまで訊いて最高のビーチになど行かなくてもいいんだよ。お前はお前の思う最高のビーチに行けば良いんだよ。そこで夏のメミリー、作れば良い。こうしてウジウジと悩んでいても、夏は待ってくれないぜ。夏はすぐに行ってしまうだぜ。そして同じ夏は二度と来ないんだ。それを考えてもらって、どこのビーチでも良いからさっさと行ってビショビショになってこいや。日焼け止め塗ってこいや。だってお前、夏が終わったら切ないだろ?なんで夏の終わりが切ないかわかるか?夏の終わりは蝉が死に出すからハッキリ言って切なくなるんだよな。蝉が死に出すとハッキリ言って切ないから夏が終わったら切ないのかな?ハッキリとした鳴き声がしなくなるから切ないのか?だって蝉の死はハッキリしてますから、それは切なくなりますから。それで俺も切なくなって、みたいな。もうええから最高のビーチにこだわるのはやめろ。あとそんなことを知らない人にイキナリそんなことを訊くな。わかったら去ね。去なねば殺すぞ。」

 

~名台詞を言ってみて~

まあ今回パフォーマンス的にはまずまずだったんですけど、今回この名台詞をね、自分なりにアレンジメントしてみて、それが結果に繋がった感じは感じられて、そこはさすがに満足できましたね。

 

あとはもう自分で自分を高めていって、更にええ感じにこの名台詞を吐かせるようになれるようにパフォーマンス高めていくって感じですかね。それが最高の夏のメミリーになるし。