
お母様、今日もおやすみ地球の上。
お父様、眠るは一日の命の終わり。
何かに祈りを捧げましょう。
見えない何かに祈りを。
この世は見えないものだらけ。音も見えなければオナラも見えない。
そういったものに祈りを捧げましょう。
見えない何かに祈りを。
ヒドラの祈りを。
という感じで自分でも何を言っているのかよくも分からないような私のような人間になるとあれ?この人生、執行猶予?おしっこ?みたいな退嬰的な退役軍人みたいな気分になってこまっしゃしてより事態はバッドに。涎は止まらず汗も止まらずそこへ至って初めて
「ぬ。こいつはマズイ。ふざけ過ぎた。ふざけ過ぎた季節だ。ほら、またふざけた。すぐにふざけて私は。チョイナってしもて。このチョイナってというのも意味がわからぬし、だったらどうでしょう、チョナって、でもかまわないのではないですか。どちらにしても私が周囲へのサービスのつもりで、このとおりふざけたおしているというのに者共は
「おい貴様、ふざけるでない。今はふざけてはいけない時。それを分かれ。袂を別つぞこの豆タンクが。」
みたいなことを言うばかりで私が周囲をハッピーなバイヴスで包み込むために身を呈してテイッ!とふざけていることに対して何のお褒めの言葉もなくただただ怒鳴り散らすどころか、豆タンク、なんてな感じで蔑しやがって。許さぬ。許す。」
とハッとせられるのでありましてそこでヒドラの祈りですわ。ヒドラの祈りを祈るんですわ。
何のことかサッパリわからないこのヒドラの祈りとはいえ、そこは人が考えたものですから何らかの前後関係や左右関係があることは、そんなことはいちいち考えなくても分かることであり、たとえばバイト中にゴキブリやハエの方がザッハと現れて厨房は阿鼻叫喚の巷となりたときにその喧騒が少し収まったときに突如大上段から失礼します的な感じで
「でもあれなんだよ。ゴキブリとかハエってめちゃくちゃ綺麗好きなんだよ。身体にほとんど菌がいねぇそうだや。」
とか自慢げに言い出す自慢マンがおますけど、ゴキブリやハエが綺麗好きかどうかなんてどうでもええんです。見た目と速度がキモス故に厨房は阿鼻叫喚の巷なのです。それを分かってほしくて。
そして、店主の趣味が腹話術であった場合の地獄のディナーのことも知ってほしくて、私は海になりました。ビックリしました。
そんなヒドラの願いを、間違えた、ヒドラの祈りを胸に私は海になりまして、それはシーですから、生命の源で、母で、エステティーシャンで、癒しの効果でした。
さあ、地獄の沙汰も金次第。参りましょう。
ヒドラの海へ。