
エスカレーターで磨耗して、プラッチックで磨耗して、排ガスで磨耗して、デブで磨耗して、食券で磨耗して、セルフレジで磨耗して、とかく都市生活というのは呼吸しているだけで心身ともに磨耗し、ふたりはまるで鰹節みたい。この部屋は落ち葉に埋もれた鰹節の箱みたい。だからお前は仔猫に寄ってこられ随意にオシッコにも行けずに。うぅ、うぅ、うほー。(そしてゴリラのお前へ…)
「あんな、笑わんと聞いてな。ウチな森に帰るねん。森に帰ってウチ、ゴリラになって踊るねん。他のどのゴリラよりも踊ったるねん。それはもう、ゴリラの踊り大会とかには出場したくても出来ない。何故なら既にウチは審査する側のゴリラだから。優れた理論から優れた音楽が出来るのではなく、優れた音楽から優れた理論が生まれる。ただそれだけのこと。でもそれが真理。まあええわ。だからウチがゴリラになっても仲良うしてな。なんやろ、なんか久しぶりに喋ってたら、またあんたの彼女になったみたいで嬉しかったわ。ありがと。ほなね。」
そう言い残して彼女は森へと帰って行った。その表情に、かつて付き合っていた頃に「このトントンチキ!トントンチキー!」とよく怒鳴り散らしていた元気でバイオレンスな彼女の面影は無かった。
「まだ愛してる。」
決して嘘ではない。しかし、森へ向かってズンズンと帰って行く彼女の背中に、僕はどうしてもその言葉をかけられなかった。
綺麗に終わった恋ではなかった。若気の至りと愛情表現の拙さが錯綜して、最後の夜はお互いにお互いをけなし合って、それこそトントンチキなんて何回言われたかわからないほどに感情を発露し合い、そして勢いのままに別々の方向へ向かって歩み出してしまった。
これは推測だが、人類史上、僕よりもトントンチキ呼ばわりされた男は居ないだろう。
一応周りの者どもに「お前はこれまでの人生で何度トントンチキ呼ばわりされたことか。しかも彼女に。答えろ。」といった感じで、どうかと思うほど偉そうに訊ねてみたが皆が皆「は?お前だれ?」みたいなことを言うのみで具体的な回数を言える者が居なかったどころか、動揺して激昂して殴りかかってくるような野蛮な、彼女であれば間違いなくトントンチキ呼ばわりしているような無頼漢もいる始末で、益荒男で、やはり僕が人類史上一番トントンチキ呼ばわりされている回数が多いということの証左でありまして、そこは自信持ってやらせてもらってますわ。
「まだ愛してる。」
付き合っていたあの頃に、何度も言うべきだったのだ。僕はそれを出来ていなかった。だから今更それを彼女に告げる資格はない。
そして何より、森に帰ってゴリラになる彼女の、その強い決意を揺るがしかねないようなワードを投げ掛けるのもどうかと思う。
ただ願わくば、彼女の中にある僕との思い出が、だんだん野生に侵食されていく彼女の心の中でいつまでも輝き続けてくれれぼ、と、勝手ながら思ほゆ。