
長い歴史の中で、繰り返される諸行無常の中で、何かにつけて否が応でも理想のフォームというのが出来てくる。その理想のフォームをいち早くモノにできるかどうかで後のハッスル具合に大きな違いが生じてくるのであるが、しかし己の個性を殺して理想のフォームの再現にのみ終始するような生活は、果たして今際の際の貴方を充足させられるのだろうか。後悔の無い人生であったと嘘なく言い切れるのであろうか。
もちろん生活の追い求め方は千差万別であり、それがたとえ理想のフォームの再現にのみ終始していたところで誰に文句を言われる筋合いはないし、貴方がそれで満足して生きていけるのならばそれでいいだろう。しかし、貴方は自分自身で気付けていないだけで、実はとても魅力的な、魅せるフォームの持ち主であるかもしれないということを、どうか頭の片隅に置いていてほしい。そして時折思い出してほしい。たとえ貴方がこのことを忘れてしまったとしても、それでも私はいつだって貴方のことを思い出すだろう。貴方と過ごした日々。笑いあったこと。泣いてしまったこと。たくさんの思い出と、そして最後の夜。別々のフォーム…。二度と交錯することのないフォーム…。
あれからずいぶんと月日は流れて、何度目かの貴方のいないフォームとなった。一人で過ごすフォームにもすっかり慣れてしまった。高く上がったフライを捕球し損ねてボールが頭部に直撃し、以後チームメイトから"隕石"というあだ名で呼ばれるようになってしまった者もいた。其奴にも慣れてしまった。「いやいや!きびだんごひとつで命懸けで鬼ヶ島に向かうなんて、犬も猿もキジもどんなけお人好しやねん!あれかな、きびだんごにシャブでも含ませてて、それで中毒にさせて言うこと聞かせてたんかな。」といったような、昔話のおかしな点をイジるノリを未だに面白いと思って頻繁に話題にする者もあった。其奴にも慣れてしまった。私は変わってしまった。
あの頃、どうすれば貴方と共にフォームを追い求めることが出来たのだろう。もしも今また再び出会えたとして、あの頃のように笑い合うことが出来るのだろうか。もしくは、出来ないのだろうか。
「なれど私たちは、そんな二人でひとつの豆を食うみたいなことは不可能だし、その時間の隠れ蓑は今日も哀しみの雨に濡れている。私たちはさっきから、一歩も動けないでいる。あ、私はバーボンで。」
戻ってこない過ぎ去った日々を、今は大切に仕舞っていて、時折取り出してみては思い出す。まだ青かった、青すぎたフォームのことを。