バル、バスと太陽バボ。

 

「太陽目指してこーぜ。みんなでアガッてこーぜ。」

私は、その通りだ、と思った。

真夏の太陽を目指してみんなでアガッていく。なんて素敵で、それでいてやや野蛮で、しかも無謀で、でも希望に満ち溢れていて。こんな発想が出来る者は素晴らしいし凄まじい。合わせて、すさまばらじい、と思った。思ってんですの。

 

だっておまえ、

「太陽目指してこーぜ。みんなでアガッてこーぜ。」

ですよ。こんなすさまばらじい言葉を高らかと叫ばれて、心が一切ムーブしないやうな剛の者など、この世にいらっしゃりましょうか。私が初めてこの言葉を聞いた時の素直で率直な感想をここへ述べるとするならば、

「それは夏の色。それは突き抜ける青。低っくい処で蟠りになっていた心にサンシャインが射して、私の征く道の標べとなりた。その標べの光はまるで夜空のように暗い私の心に輝く星のようで、私は思わず"標べスターやね"と普段なら呟いただけで自殺してしまいたくなるような下らぬダジャレを呟いてしまったが、後悔は無かった。心が生まれ変わっている。明らかに。太陽を目指す。みんなでアガッていく。たったそれだけの、ほんの些細な一言で私は、私の心は救われた。サルベージ。そんな語が頭をよぎった。回鍋肉定食。そんな語も頭をよぎった。お腹が空いている。腹が減っては戦はできぬ。回鍋肉定食を食べ、杏仁豆腐を食べ、そしてしばし食休みをした後、私も太陽を目指そう。アガッていこう。」

といったところでしょうか。

 

私の心にはもう、一点の曇りもなかった。雲が晴れ、そこにでっけえ太陽があった。真夏のでっけえ太陽のみがあった。暑い。しかし嫌な暑さではない。あの太陽目指して、どこまでもアガッていこう。そう思わせてくれるような、大きくて優しい太陽だった。町でたまに見かけるでっかいオバハンのような太陽であった。此方がある程度勢いをつけてその胸に飛び込んだとして微動だにしないような、そんな太柱みたいなオバハンが貴方の町にも一人はいらっしゃるのではなくて?その人こそが、貴方の町の大きくて優しい太陽なのです。背後から呼びかけられた時に首から上だけで「うん?」と振り返るのではなく、腰から上、つまり上半身ごと此方を振り返って「うん?」と此方を誰何するような、この人は首が固定されているのかなと心配になるような、肩幅が広くハト胸のオバハン。でっかいオバハン。その人こそが私たちが目指しているところなのです。みんなでアガッていきたい所なのです。

 

今までの私が嘘のように日々にハリが出て、平々凡々だった生活がHey!! Hey!! Bong!! Bong!! と、まるでスーパーボールのように心が跳ね飛んで止まるところを知らない私となった。確実に周囲の人々の私に対する接し方が変わってきているですもの。絶対にウザいと思われてるですもの。

それもそのはず。私はこの、

「太陽目指してこーぜ。みんなでアガッてこーぜ。」

という言葉を日に幾度となく呟き、たとえば私に何かを尋ねてくる人に対して私は、

「太陽目指してこーぜ。みんなでアガッてこーぜ。ということを考えていたのだけどなに?なんの用?」

といった風に、喋り出す際に必ずこの言葉を漫才でいう所のツカミみたいな感じで乗せてから喋り出しますし、それが無理であった際には、去って行く相手を呼び止めて、

「はい。はい。なるほど。良く分かりました。それではそのように此方でええ感じに調整させてもらいますわ。あ!ちょっと!ちょっと待って!太陽目指してこーぜ。みんなでアガッてこーぜ。」

と会話の締めの際、漫才でいう所のオチみたいな感じで乗せさせてもらっております。

これがウザい以外のなんなのでしょうか。

 

しかし私は今、周囲の人々に自分がどう思われていようが大して気にならなくなりました。そんな些細なことを気にして萎縮して、冷水を浴びせられて収縮したキンタマのようなシワッシワな顔と心で生きていたとして、果たして太陽を目指していけるでしょうか。アガッていけるでしょうか。無理ですもんね。そんなことではでっかいオバハンのような、大きくて優しい太陽にはたどり着けないのです。

私はすっかり変わりました。そして生きていく目標を手に入れました。

 

皆さんに約束します。私、遠くから見ると壺のように見えるような変な体型のオッサンにならずに、大きくて優しい太陽みたいなオバハンになる。そしてみんなでアガッていく。それだけ。それだけでございまして。