みよしの自己分配

 

念願叶ってとうとう私も年貢の納め時で、ついにみよしの自己分配について勉強する機会を得ることができて非常に嬉しかったし、その嬉しみを皆さまとシェアしていきたいし、じゃあシェアするにはどんな方法が一番良いのだろうかと考えた時に、あ、シェアーしていけば良いのだという至極真っ当な考えに至りましたので、件のシェアーをするべく筆を執った次第でございますが、だからこれも一種のみよしの自己分配にあたるものとして真剣に、何よりも慎重に申し上げて存じ上げていきたい所存でございます。

 

まずみよしの自己分配を勉強していて思ったのは、結局世の中の悲しい出来事のほとんどは自分自身の受け取り方による、ということで、たとえば悲しみの時にその中から無理やり嬉しみを見出すことをすれば脳が「あれ?コイツこんな悲しみの時なのに、嬉しみを見出してるってか?つーことはコイツにとって、つまりコイツの脳である俺にとってかの出来事はもはや悲しみの時では無いということか。ちょっと脳をプログラムし直さなければならぬ。えーつと、頰の筋肉がつり上がっているということは嬉しみであるから………」てな感じで脳が勘違いして悲しみの時を嬉しみの時と自己で分配、つまり自己分配し直し、しまいには「嬉しみの時なう」とその嬉しみをシェアーするに至るようになるのだそうです。

 

これは別に人類だけに限ったことではなく、猿や牛、蟹などにもその自己分配は確認されているらしく、最近では宇宙人でも自己分配をすることが確認されています。

 

代表的なみよしの自己分配の例としては、友人たちと食卓を囲んでいる時に友人の一人に塩をこちらへ渡してくれ、と頼んでしかし友人がふざけて塩の入った小壜ではなく少しでも口にした瞬間に死んでしまう猛毒の入った小壜を渡して来た時に「そうそう。この猛ポイズンをこの回鍋肉に小匙一杯振り注ぐとどうでしょう。あなや!旨い!旨辛!その味はまさしく天にも昇るような味。って本当に死んでしまうじゃん!しまうじゃんじゃん!」と一旦受け入れた後にそれを自分で訂正するというのもみよしの自己分配なんです。

 

それってノリツッコミじゃないんですか?

 

皆さまはそう言って驚かれるでしょう。しかしご安心ください。これは立派な立派な自己分配なのです。みよしの自己分配と言えるのです。そのノリツッコミとやらに限りなく近い構造であるという報告はみよしの自己分配のど素人である方々からさんざ受けているのですが、それに対して当方というかみよしの自己分配側では全く何の聞く耳持たないという態度で接させていただいているので今のところは取り立てて問題らしい問題は感じでおりません。

 

あとよくみよしの自己分配として語られるのが一種の自分探しみたいな話になるとは思うのですが、一人で海外へ旅立ってみるというのもみよしの自己分配になり得るということを今一度わかっていただきたい気持ちなんです。

ただ、最近世界は殺伐としており、海外で犯罪に巻き込まれるなんてこともザラにあるので、ここは安全性に配慮して旅行会社などのパックツアーに申し込むのが吉と言えるでしょう。「スペシャル安心NYパックツアー」や「絶対死なへんシドニーツアー」等、ツアー名からしていかに安全かを押し出しているものを選ぶと良いでしょう。自分で旅行会社に問い合わせて自分で自分探しをするというのは、これも立派な立派なみよしの自己分配と言えるのですから。

 

そしてこれも言われるのが薄ピンクのワイシャツにチョッキとミニスカートはチェック柄のセットアップで服装だけ見たらしゅっとした受付嬢みたいだけれども頭を見るとバチバチの金髪に攻めのメイク、近寄ってみれば強烈なコロンの香りを漂わせているような女性をオフィス街にほど近い地下鉄の駅やなんかでみますが、ああいった女性は十中八九悪徳ローン会社の受付嬢であると私なんかは思い込んでいるのですが、この思い込みも立派な立派なみよしの自己分配と言って差し支えないということも知っておいていただきたいんです。

何故ならその女性が実際に悪徳ローン会社の受付嬢であるかどうかは女性本人に聞いてみないとわからないのにも関わらず、自分で勝手に思い込んであまつさえ「この人の世の生き血を啜る悪徳ローン会社の窓口め。隙を見て成敗してやろうかクソが。」等と、別に悪徳ローン会社に迷惑をかけられた経験もないのに抑えきれない正義感により打ち震えておりますので、これはみよしの自己分配と言えるでしょう。

 

 

みよしの自己分配によって得られるものよりも失うものの方が多いというのが悲しいところなのですが、それは自己責任というかみよしの自己責任と呼ばれる、また全く別物の話になってきますので、興味のある方はみよしの自己責任についてもお調べになってみてはいかかでしょう。