
恋人達は二人で話し合えばいいじゃない。肩に手をまわして。
炸裂せる愛情のままに、互いの気持ちをぶつかり稽古すればいいじゃない。もちろん、肩に手をまわして。
思い出してみなはれ。付き合う直前の頃、互いの肩が触れる距離で歩くことにすら幸せを感じていた時のことを。
思い出してみなはれ。付き合いたての頃、人混み凄まじい大交差点で、初めて手を繋いだ時に感じた手の温もりを。
何もかもが光り輝いていたあの蜜月の日々を。
女は畜肉のことを、チクビの肉、つまりチク肉であると思っていた。それが判明した時、二人の蜜月は終わりを告げたのである。
「は?チクビの肉だからチク肉?そんなわけがあるかハニー。一頭から取れる重量が、いくらなんでも少なすぎるとは思わないかい。たしかに、牛や豚のチクビは人間のそれと比べずいぶんと大きいものであることは僕もわかっているつもりだ。味はどうだろう。まあチクビなだけにコリコリっとして思いのほか美味しいかもしれないがタレでいくのか?塩か?切り方は?厚切りかな。でも牛が吸いまくっても千切れないようなチクビが人間如きに噛み千切れるものかな。だったら薄切りかい。でも薄切りでコリコリしてるのは牛タンだけで充分だと以前さんざ君が嘯いていたではないか。それにチクビとあれば、牛乳の風味も加わっていることは明らかだろう。僕は基本的に乳製品はだいたいNGであるから、そんなチク肉みたいなものが食卓に出された時に果たして心の底から美味しいと言えるのでしょうか。本当は美味しいとおもってないのに無理に美味しいと言ったとしたら、それは君に嘘をついていることにはならないだろうか。うん、なるね。だから僕はチク肉は食べないということを今ここに宣言します。」
男は一気呵成にまくし立てた。それはそれはうるさかった。いや、声のボリュームや調子は穏やかであるが、内容がうるさい、うざい、キモい、そんなうるささであった。
女はこの程度の些細な間違いでこんなにも人は人を責め立てられるものか、と少し関心すらし、やがてムカついてきた。ので言い返した。
「あのね、あなたね、うるさいのよ。よくもまあそんなにスラスラと人を馬鹿にできるものだわ。だいたいあなただって人間ドックのことを人面犬の別称だと思っていたじゃない。私が「会社のアレで人間ドックに行くことになった。」と報告した時、人間ドック?なんでそんな見世物小屋みたいなところに会社のアレで行く必要があるんだい。とか言って怒り出してさ。私が説明したら、あー!そっちの人間ドックね!失敬失敬。つってニヤニヤ笑って。何がそっちの人間ドックだよ。そっちしかねーんだよ!あなたは自分自身が馬鹿のくせして他人を馬鹿にするという悪癖があるということをいい加減認めるべきだわ。超キモいんですけど。」
女がいつになく勢いづいて怒っていることに男は驚き、そしてそっと女の肩に手をまわして言った。
「あの、ごめん。」
ほら、二人の蜜月がまた始まったよ。