
俺は突如こんなことを訊いてよろしいだろうか。よろしいだろうな。
皆さんは、"大向こう"という言葉をご存知であろうか。俺はご存知である。
もしも、大向こう、という言葉を聞いた覚えがないのであれば、手前で調べて欲しいのだが、てゆーか、そんなことも調べない、受動的に説明されることを望むのであれば、ほんならワレがタンタン、嬉しそうにタンタンタンタン叩いてるその手のひら大の板状の機械はなんやねん、と俺なんかは思うし、先生も同じようなことを言っていたので(とても偉い先生です)、是非とも調べて欲しいところではあるが、まあそもそもこんなことになったのは、そんな日常では滅多に使うことの無い言葉をば持ち出した俺の責任でもあるので、大事なところの説明を超絶省いて、しかし伝わる者には伝わると信じて、ここに大向こうの意味をざっくら解説して差し上げるならばそれは、「成田屋!」とか、「中村屋!」等の掛け声がそれであるよ。
通なんだってね。食通に情報通にマリンスポーツ通。通とはもちろん、"その物事に対して精通している"ということで、全く何にも精通していない者が「よし、俺は今日から通だ。なにがいいかな。じゃあアレで、映画通で。なんでも訊いてくれよな。」などと喚き散らしたところで世の人々から映画通として認められるワケでは無くってよ。通というものは他人から認定されるもので、自分で自分のことを「どーも、通です。」とか言うものでは無くってよ。
それは大向こうにおいても同様で、初めて観に行った歌舞伎で、よし、俺は今日から大向こうをやろう、やっていこう、と考えたとしても、大向こうとはそもそも歌舞伎の演目にごっつ詳しくないとタイミング良く掛けられないないものであるし、また、ああいったものには大向こうの会みたいのが存在しており、そこへ所属せんことには無闇に大向こうを掛けてはいけない場合もある。
ベテランの大向こうの人々から歌舞伎通として認めてもらえるまで、足繁く小屋に通って勉強させてもらうしかない。そうやって真面目にやってたら夢は必ず叶うよ。叶わない夢なんてないんだよ。不老不死が夢です!とかは叶わないけどね。
だがしかし、通でもなんでもない俺、とんでもない俺だが、アイツらを初めて街中で見かけた時は思わず「ヨッ!自由や!」と声を上げてしまったのには驚いた。
何度でも俺は言おう。俺ははっきり言って俺は歌舞伎通でもなければもはや何の通でもない。凡庸な人間、つまらない人間であるかもしれない。しかし、一寸の虫にも五分の魂と言った人もあるとおり、いくら俺がつまらない人間だからといって他人から「おまえはつまらない人間です。」と言われるのは耐え難く、それは、自分では自分の妹のことを不細工だと宣言していても、他人から「おまえの妹は不細工です。」と言われるととてもムカつくことと似ている。似ているっつーか同じである。
だので俺は俺のことをつまらない人間だと思っておくとして、しかし俺に向かって「おまえはつまらない人間です。」と言うのは引き続き控えていただいて、そんな俺であるが、アイツらを初めて見た時は驚いたんだね。
まずアイツらの何がそんなに自由であったかであるが、これを文章にしようとすると非常に難しいというか、言語化した時点でアイツらの自由が言語に縛られるような気がして、魂を印刷してしまうような気がして、これはだから説明できないと言いきってもよく、じゃあ最初からアイツらの自由さを説明しようとすんなや。アイツらを見たことのないワシら、蚊帳の外やないけ。下天の内やないけ。そういうことばっかりしてるから郷里を離れてから友達が一人も出来ないんじゃない?
友達が出来たらまず何がしたい?まずは飲み歩きたいな。飲み歩くには良い街に住んでるものな。それで一晩中くだらない話をしてさ、いっぱい笑ってさ。それこそ、昔アイツらとつるんでた時みたいにヘラヘラと酔っ払って自由な、そぞろ歩きたいよな。あの頃みたいな友達が、また出来るかな。
と思う御仁もいらっしゃろうが、説明出来ないものは説明出来ないので説明出来ないのである。
どうしてもアイツらがどれほど自由なのかを見物してみたいとあれば、俺に連絡してきてくれればアイツらが現れやすい街角、ホットスポットを教えて差し上げよう。
しかし、そうそうアイツらに会えるものでもないので、毎週飲屋街で飲み歩きつつくだらない話でもしながらゆるゆるとアイツらを探そうよ。そして、自由を見ようよ。