
尋常なる生活を送っていれば、おそらく一生使うことのないであろう言葉の代表、レペゼンといえば、
「よし、ここで二手に分かれるぞ!」
ですが、実際私たちはそれを言葉にはしなくとも様々な人と二手に分かれて離ればなれになりそれぞれ別の道を行く、ということを繰り返して生活してるじゃありませんか。
出会った瞬間には既に、いつか来る別れの時へのカウントダウンが始まってるんですわ。
何度こんなことを考えたことでしょう。
しかし私たちは、また新たな出会いに感動し狂喜し、その瞬間にはいつか来る別れの時のことなど一切考えずに出会いを謳歌してしまう哀しき熱帯魚なのじゃありませんか。
私がまだ生まれ育った故郷に住んでいた時の頃、私に対してこんな言葉を吐かした御仁がありました。
「一生に一人、この人と出会えて良かった、と思える人と出会えたら、君は人生の成功者だ。」
そんな大げさな、おぺぺな、とまだ青かった私はせせら笑っておりましたが、いやせせら笑うどころか「次また同じこと言うたらコレぶつけるぞ!」とか言いながら生卵を投げる振り等をしていましたが、今となってはその言葉の重さ、真理の突いてさについて大いに納得しております。
もしこの言葉を与えてくださった方に再びお会いすることがあれば、ノリで生卵をぶつけたことを深く謝罪するとともに、「良き言葉を与えてくれてありがとう。アレ、マジっすわ。」と感謝の気持ちを伝えたくていっぱいなんです。
郷里を離れて今、心のボトムからそう思います。
「あなたに会えて、本当に良かった。」と思える人と一人でも出会えれば、人生は成功だ。
これはマジ話ですね。ガチのやつですよね。
なぜなら、出会えて良かったと思える人との出会いなんてそうそうござらんではないですか。そう思える人と出会えたならば、たしかに人生の成功者と呼んで差し支え無いのかもしれませんし、差し支えないよ、と誰かに言われれば、妙に納得できることでしょう。
友達がいくら居ようと、本当に出会えて良かったと思える人物がその中に一人でも居ることかな、と考えてみてください。もし居るならば、あなたは人生の成功者でありますので、そこに関しては初対面の人とかに存分に自慢していった方がいいですし、街中で突然、
「ねえ聞いて聞いて弱卒!聞いてよ!この私はですね、なんと!出会えて良かったなと心のボトムから思える人がいます。ついにいましたね。やりました。これで私は人生の成功者ということになりますよってに、もうマルチ商法からは足を洗い、向後は世のため人のため、そしてなにより出会えて良かった人のために仕事に趣味のサバゲーにと、より一層シェケナしていこうかな、と思います。よろしくお願い!」
と演説をぶっても良いでしょう。
しかし忘れてはならないのが、いくら出会えて良かった人とはいえ、その人とも、いつか絶対に別れる時が来る、ということですね。
いやいや、そんなこっちの歓びの腰を折るような真似すんなや。そういうことばかり言っているからお前には友達が居ないのだよ。と、あなたは嘯くことでしょう。しかしどうでしょう。私がそんなことを言われて気にする私だとお思いでしょうか。あなたみたいな面白い顔をした方に何を言われようが、そんなもの全然うんともすんとも思わない私でした。そしてこの、いつか絶対に別れる時が来る、ということだけが、厳然たる事実としてあなたの目の前に、ハートの奥底に残るのです。突き刺さるのです。
しかし私はなにも、「ハッ!いくら出会えて良かったと思おうが、愛し愛されていると思おうが、そんなもの所詮は泡沫。いずれ必ず別れる時が来る。すると忽ち別れの悲しみがあなたを襲い、浪速のことも夢のまた夢。こんなに苦しむくらいなら、いっそ出会わねばどれほど楽に暮らせたらだろうか、ともう今は会えぬその人をあまつさえ恨むことになっちゃうかもよ。覚悟せよ。へへーん。」と言いたいワケではないのです。
いつか必ず別れるのだから、別れるまでのその時を、精一杯尊く感じておいて下さいね、ということなのです。人生にはなにが起こるか分からないのですから。
関係性が上手くいっている時、別れとは意識し辛いもの。しかし、その別れの時を少しだけ意識することで、今より更に深まった関係性になれるかもしれませんね。
そう、別れとは幸せに少しだけ足すスパイスなのです。高貴な香りの香水には、ほんの少しだけウンコの香りが足されている、みたいなものなのです。
つまり別れとは、ウンコは似ていると。