「何事も 嘗めてかからず 全力で」

 

「何事も 嘗めてかからず 全力で」

我ながら良い標語が書けたものだ。平易な言葉をチョイスしていて分かりやすいし、それでいて「何事も嘗めてかからず全力でやりなさい。」というメッセージが全体的にそこはかとなく散りばめられており、この便利な世の中で暮らす我々に一抹の問題意識を植え付けてくれる。

我々人間はつい、「ハッ。楽勝楽勝。こんなもの、屁でもないわ。」と嘗めてかかりがちな業の深き鼻くそ野郎であるが、いざ取り掛かってみると屁だった、屁でもないと思っていたのに屁だったということが往々にしてあり、その度に次こそは嘗めてかからず全力でやるぞ!と思い直したりするものであるが、人間とはまた、忘れる生き物であるが故、ついつい同じ過ちを繰り返してしまい、再び、屁だったよ、などと嘯くことになるのは明らかであるので、この「何事も 嘗めてかからず 全力で」という標語を、今回は特別に無料で書き写していただいて良いことと致しますので、スマホーの裏とかが良いでしょう。常に身につけている物、見えやすい所にでも書き写して何事も嘗めてかかることなく全力で取り組むようにしていけば良いのではないでしょうか。

 

たかがこんな素晴らしい標語のひとつを胸に刻んだところで、一体どれだけの変化が俺の人生に表れるというのだ。ふざけんのもいい加減にしろよクソ野郎が。死んでしまえ。

と思う方もいるでしょう。

私も作る側として常に評価される立場にある人間ですので、そういったノイズの類は甘んじてこれを受け入れますし、そもそも全然気にしてないですし。

しかし一度騙されたと思ってこの標語のとおり何事も嘗めてかからず全力で取り組んでみてください。するとどうでしょう。

あなたは毎日闊達とし、溌剌とし、「富田林の元気印」などと人々から呼びそやされ、誰にとっても掛け替えのない存在、全然嘗めてへん存在として重宝され、あれよあれよと事が上手くいくようになるのです。

そうなると次にあなたはこう思うはずです。

 

「この素晴らしき標語を胸に刻み込んでおいたおかげで、俺はこの剣呑の世を見事に悠々とサーフすることがでけた。今度は俺が誰かに物事を説いてあげる番だな。そうなんだな。よし、じゃあ俺は「世の中さ お金じゃないよ こころだよ」という標語を書きました。この標語を世に広めていこうと思う。」

 

そりゃまあ活動を始めたばかりの頃は、いくら標語が素晴らしさに溢れていようと人に伝えたところで「あぁ、はいはい。」「いや宗教とかはええから。」「おまえ誰やねん。」と世間の冷たい風に吹き遊ばれ、雨の朝や嵐の中でひとり泣き濡れることもあるでしょう。そう、かつての私がそうであったように。

しかし活動を続けていくうちに世の中があなたの方に傾いてくると思うんですよね。

なぜなら、そもそもこの、

「世の中さ お金じゃないよ こころだよ」

という標語自体がとても素晴らしく全体的にウィットに富んでおり、それでいて薄っすらと我々人間にとって大切なことがメッセージとして盛り込まれており、とても秀作であるではないですか。

特筆すべきは「こころだよ」というところですね。

ただでさえ優しい言葉遣いをしているこの標語において、そこへ輪をかけて漢字の「心」ではなく「こころ」とあえてひらがなにするという高等文学テクニックにより、私の、人々の「こころ」にスッと入っていくような印象を受けます。

 

大丈夫。

これだけ素晴らしき標語であれば、必ず世の人々に受け入れられ、それはそれは巨万の富と名声を得ることができるでしょう。

 

なのであなたも、草の根から初めてみませんか。