とんだラガマフィン

 

俺だって見る人が見ればパーフェクト・ボディであると言えるのに、世間の奴らはみな俺のことを「人の世の生き血を啜る悪魔」だの、「平家の怨霊に取り憑かれた没落貴族」だの、「広島の粗大ゴミ」だの、「色々歪んだラガマフィン」だの、およそ言いたい放題言われている。

 

しかし、もちろん俺の方にも責任はあって、俺は自分をジスってきた奴を許さない、てゆーか具体的にボコンボコンにするというか、火を放つというか、まあ舐められたら舐め返すがモットー故、ずいぶんと狼藉を働いてきたというのは否定出来ないことなのだけれども。

バビロンに世話になった回数も片手じゃ足らないし、齢13の頃より娑婆とムコウを行ったり来たり、雨が降ったらお休みので、風が吹いてもお休みで、カメハメハ、カメハメハ。

 

しかしだよ君。俺はこの見る人が見ればパーフェクト・ボディである自分を自分の思うさま生きたいってだけで、なにもアタマから「よし、それでは本日も皆さんに迷惑の方、かけていきたいと思います。」なんて思ってこんな感じに振舞っているのでは無くして、そこには絶え間無きフリーダムへの憧れがあるということを少しく理解してもらえればなって思うんですよね。

 

もちろん直ぐに理解しやがれこの小市民が。バチンといったろか、バチンと。こんな土曜の昼から、バチンとよ。なんてことはひとつも思ってはおらず、てゆーかそんなことしたらまたバビロンにひっ捕らえられたのちに投獄、ということは俺のこの見る人が見ればパーフェクト・ボディを世間に晒せないということで、はっきり言ってそれは世間にとっては損失としか言えないわけで、パーフェクト・ボディに産まれたからには、そのボディを遺憾なく晒していく義務があると思うんですね。

 

このフリーダムを求めて人生をサーフする俺が、自ら義務感を抱いて行動を律するというのは実は物凄いことで、これはスポーツ刈りのくせにスケボーで移動してるみたいなもので、まさに晴天の霹靂、曇天のへべれけ、八つ裂きのザッハトルテと言って違い無く、なんとなくレトロフューチャーな世界観でもって動けているというのが素晴らしいところで、その辺りをもっと世の奥様方に理解し信頼していただくことで俺が俺としてこのパーフェクト・ボディを晒すことがいかに平和維持活動になっているかに関してリスペクト、俺へのリスペクターが増殖するキッカケになっていけると感じているんです。

そしてゆくゆくは「オシムジャパン」みたいな感じで「オシムボディ」てマスコミ各社からも取り上げてもらって挙句の果てには「この度は俺ことパーフェクト・ボディのオシムボディは、一般の会社の会社員の女性の若い方と逢瀬に逢瀬を重ね、ついぞ婚姻届を届け出るに至りました。ただ結婚をしたからといって、このオシムボディは健在というか守るべき存在が出来たことによってますますのご活躍を期待してもらって大丈夫なんで、皆さま方におかれましては、これからもオシムボディへの変わることの無き応援、ご指導、ご鞭撻、ご愛顧、とかをよろしくお願いします。多少ハゲてきてるとはいえ、よろしくお願いします。」と結婚報告のFAXを送付するなんてことになっていくと思うんですね。

 

そうなればもう俺のことを「豪州一の無法者」などとのたまう輩も居なくなるのではないでしょうか。

 

いや、もしいたとしてもおそらくその頃にはオシムボディのおかげで、世間は俺の味方をしてくれていて、リスペクターになってくれていると思うので俺をジスる輩は逆に自分が世間からジスられることになり、ラジオ体操のサビの部分で邪魔される、身に覚えのないオフサイドを取られる、滑舌が悪くて何を言っているのか全然分からない人から安全装置の説明を受ける等の憂き目に遭い世を儚んで山で原始人として生活していく道を選ぶことになり、実りの少ない季節には山から下りてきて人家を荒らすといったような新たなラガマフィンになると思うんです。