いとしのクリスピーナ

 

かつてこの地に、"クリスピーナ"なるあだ名で呼ばれた男がいた。

人は言う。

「なぜクリスピーナなどというあだ名になったんだよ。だいたい"ーナ"って付くのは女性だろう。しかしクリスピーナは男ではないか。ジェンダーフリーの波か?」

人は勝手だ。勝手にいっぱい言う。どうでも良いことをたくさん言う。

しかしそこは私も勝手なもので、そのほとんどをまともに聞いちゃいない。

酷い時には聞いているフリすらせず、黙って明後日の方向を見つつ「なんでブスほどトリッキーなメイクを施すのであろうか。百鬼夜行にスカウトされるのを待っているのかな。巨乳が無駄やわ。」などと天下国家について想いを馳せていたりするのであるが。

 

そんなクリスピーナであるが、なぜ彼がクリスピーナと世界中の人々呼ばれているのかというと、これは以外と知られていない。てゆーかお前らが知ろうとしていないってところに根本的なポンポンがあるんちゃうんかい、と思はず郷里のなまりで怒鳴ってしまいそうになるものの、そんなことをいちいちしていた場合、ちんちんが幾つあっても足りないっつーか、え、なんでちんちん限定なんですか?アナルは足りてるんですか?つって屁理屈を捏ねるだけ捏ねてすぐ家に帰ってもの凄く熟睡する、という輩も決して少ないワケではないので、ここはひとつこの私がガッチュリ説明させてもらうことにすると、そもそもクリスピーナの本名はクリスピーナ感など皆無で、これが「栗原」や、「栗林」といった苗字または「栗子」や「栗の助」といった名前であれば「あぁなんだ、そんな由来か」とすぐさま納得も得心もいく話ではあるが、そうでは無いということは他になにかクリスピーナ的な要素があるのかい。あるんやったら言え。言わねば殺す。と脅迫まがいの電話を家に掛けてきた挙句「いや、そんなこと言ってない」とシラを切るのが奴等のやり方であるということはさすがのオイラも理解しているのでここは素直に他のクリスピーナ的要素を手探り状態で探してみたのであるが、これがなかなかどうしてそれらしき要素が見当たらぬ。

 

もうこうなりゃヤケだ。とクリスピーナ本人に電話を掛けて「もしもしクリスピーナ?あのさ、なんでワレはクリスピーナちゅうて呼ばれてんの?なんかちゃっきりとした由来でもあるの?あるんやったら教えて。このままではちんちんが幾つあっても足りないのよ。」と問うてみたところ意外な答えが返ってきたので下記にアレする。

 

「え?この俺がクリスピーナというあだ名で呼ばれている由来?そんなことイキナリ尋ねられてもすぐに、あそれはですねー、なんて答えられるほど世の中甘くないのやで。ワレは望んだものがすぐに手に入るライフを送ってきたかもしれないが、俺は決してそうとは言えぬライフであった。厳格な両親の下で育った俺は、毎朝5時起きで学校の教材とは別の問題集をやるという、我が家で"朝勉"と呼ばれていたものを小学校から中学卒業までの間一日も欠かすことなくやらされ、高校に入学してからは部活の朝練があったので夜勉にシフトせられ、それは高校卒業まで続いた。実家にいる間は甘やかされるということが無く、学友みんなが持っているゲーム機も俺だけは持っておらず、小遣いは必要な時だけ用途を申請し、それが通ればもらえる方式であったため、遊びの為に使えるお金は持たせてもらえなかった。おかげで俺はご存知の通り頭脳明晰で明朗会計、トリプルアクセルとかも跳べるようになったものの、俺は青春を棒に振ったのだ。孤独な学生時代であった。友達も一人もおらぬ。しかし今となってはその培われたインテリジェンスが功を奏し、事業で成功をおさめるに至っているが、いくら会社の業績が上がろうが俺の心が満たされることはない。それどころか会社の手がけている事業に対し「俺はこの事業で本当に社会の役に立てているのであろうか。」と疑問すら湧いてくる始末だ。この、「カリッと香ばしかったら、それがクリスピーな。」と世の人々に教える事業に対して。だので貴様のようにやすやすと欲しい物が手に入るような人間からの質問に対し俺がやすやすと答えると思っているなら大間違いだ。笑止と言ってよい。わかったらこんな通話はささと切り上げて世の為人の為に貴様が出来ることはないか、今一度考えるがよい。」

 

 

そう言って電話をガチャ切りされてしまった為に、未だにクリスピーナが何故クリスピーナと呼ばれているのかは謎のままなのであるが、そこはまあ持ち前の元気とガッツでなんとかこの世をサーフィンして、明日からも私の手がけるこの事業、「クリスピーな物なんてこの世に一つとして無い。」と世の人々に教える事業をがんばって育てていこうかなって思ってるって誰かが言うてたよ。私が言うてたよ。自分で。