モノマネをゲリラ

 

強慾ジジイの珍メニューにおどらされて、今日も私はヘトヘトボディで電車に乗って家に帰っていたのだけれどその最中、「電車に乗って考え事をしていたら突如悟りの境地に達した人のモノマネ」というのを思いついたので今すぐ誰かに披露したいというこの気持ちとは裏腹に、たくさんのお客が乗っているこの車両にあって、けれど私の知り合いなんて一人もいなくて、いるのは見ず知らずの赤の他人のみで、ならば私の内にある、モノマネを披露せしめたい、という気持ちは押し殺して叩き殺して、今日もまたひとつお利口になってしまうのかしらん、なんて考えていたら閃いた。

 

「電車に乗って考え事をしていたら突如悟りの境地に達した人のモノマネ」ならば、電車に乗っているこの状況なら、誰も知り合いが居ないとて、ひとりでに自己満足に披露しても成立するのではないか。いや、する。つーか成立するっしょ。ガチで。って思ったんで。

ならばこの状況でこのモノマネをインサートしなくてはいられなくなるのが人の情。幸いにも電車は空いており、座席こそ埋まってはいるが、立っているお客は一人しかいないため視界は開けており、ということは、この車両内にいるお客の全てに私のモノマネゲリラライブをお見舞いすることが出来るということで、こんなにお得なことはない。毎日毎日強慾ジジイの珍メニューにおどらされて艱難辛苦の日々であるが、時としてこんな、ジーザスからのプレゼントみたいなこともあったものだなぁ、感謝。と通すべき筋も通したことだし、いよいよ私の「電車に乗って考え事をしていたら突如悟りの境地に達した人のモノマネ」を披露するとするか。

 

と思って少し戸惑った理由は、モノマネとは「○○のモノマネをします!」と初める前に宣言することによって、観客はその○○のことを頭に思い描き、それから目の前で披露されるモノマネを観ることによって、実物との相似、または相違、口調等の特徴を的確に捉えていたりデフォルメしていたり、そういったことを比べ、実物とモノマネの間にある距離によって笑いの旋風を吹かせる演芸であり、いきなりこの「電車に乗って考え事をしていたら突如悟りの境地に達した人のモノマネ」を披露したところで、こんなものはお題とセットでひとつの笑いとして拵えてあるものなのでなんの前触れも無く演じたとてウケる筈もなくそれどころか、「あら、私の隣に座っているこのお客、俯いていたかと思ったら突如顔を上げ目は見開いて、なんかプチ後光みたいのも差していることだし、さては此奴、悟りやがったな。丁度良かった。此奴をとっ捕まえて「久々にホンモノの解脱者が出ました」とか言うてテレビやなんかに売り込んで一儲けしよう。まずは手持ちのクロロホルムをハンケチに染み込ませてっと。」と考えた強慾ジジイのような精神構造の隣のお客に電車を降りた瞬間に拉致されるやもしれぬ。いや、拉致される以外に考えられない。私にはまだまだやり残していることがある。こんな所で拉致されてしまっては、強慾ジジイをこの手で必ず殺すという本懐を遂げられなくなってしまい、それは末代までの恥となり子々孫々を苦しめることになる。そんなことでは、いけないよな。

 

かくして私は、己の慾望をガッチリと抑え、モノマネを披露することなく電車を降りるに至ったワケであるが、果たしてこれが私の望んだ道なのであろうか。無理してるのではないだろうか。

今も私は、この「電車に乗って考え事をしていたら突如悟りの境地に達した人のモノマネ」を誰にも披露することのないまま、日々を強慾ジジイの珍メニューの下で過ごしている。

これが私の望んだ未来なのであろうか。今の私のことを、少年時代の私が見たとして、果たして納得し尊敬してくれるのであろうか。

 

答えは風に吹かれている。