
人間が生きていく上で大事、大切、肝要とされている物事は夜空に輝く星の如く、また、港に蠢くフナムシの如く爆笑の量、お祭り騒ぎの量とあるが、そんなものは大抵、大が小を、上が下を、天が地を、より扱い易く管理し易くコントロールする為に手前勝手に決めやがったもので、もち、中には本当に大切な事を説いているもの(会食時、いぼ痔にあえぐ己が肛門の様子を仔細に報告してはいけない、等)もあるが、そのほとんどは実はそんなに大事、大切、肝要ではなく、人間が生きていく上でこれさえ食らっておけば全然問題ねぇよってのが、愛する人との抱擁、ハグである。
一説によると、愛する人と抱擁することによって過去3日分のストレスが雲散霧消するらしく、そして抱擁することによる幸福感で幸せホルモンがドバドバと湧き出でて心身ともにこれ健康になるそうである。しかも抱擁は粘膜を介さない愛情表現のため非常に手軽で、思い立ったらすぐにハグ、目覚めのひとハグ食後のひとハグ、と横浜銀蝿のスモーキン・ブギが如く日常の中にハグを取り入れることが可能で、これにより日々の暮らしのなかでアホみたいに蓄積してゆくストレスを一切合切消し去ることが出来るのである。
ほんならお前、虐げられることで快感を覚えるアイツみたいなヤツはなんやねん。たとえば言葉による虐げ。アホ、バカのスタンダードな罵りから始まり、豚人間、出目金、ビフォーアフターのビフォー、ハゲてないけど精神的にハゲてる、等の容姿への罵りがありそして、精神病院をハシゴするべき狂人、ゴミに土下座するべきゴミ野郎、薩摩隼人の出来損ないのような陰険カマ野郎、ケツ鍋、等の内面、人間性にまで苛烈に罵る罵りっぷりに側にいた私もさすがに忿怒。おいオッサン、こんな中途半端に容姿が整っているばっかりにそれなりに男に言い寄られてきたような、しかしそれ故に男を舐め腐ってそうなくだらぬ女にここまで虚仮にされてダンマリはないだろう。俺も加勢してやるから怒れ、爆発しろ。なに、相手は所詮は女だ。なんや反抗してきやがったら最悪の場合は暴力で黙らせたらええんじゃ。さあいくぞオッサン、鬨の声をあげい。とオッサンを見やって驚いた。
なんとオッサン、口には薄笑いを貼り付け頰は上気し真っ赤。トロンと目尻が下がりその視線は宇宙へ。そして微かに揺曳しているというこの有様はまさに恍惚感に貫かれている状態そのものである。ヨダレもでている。
呆気に取られている私を他所にオッサンは、
「やはり毒満美様の野外言葉攻めが日ノ本一にございます。ビルが林立し人通りの多きこの道端にあって、わりと大声による上記のような苛烈なお罵り、五臓六腑に染み入りまして候。気持ちぃでした。過去3日分のストレスが雲と散り、霧と消えにし候。スッキリでごじゃいます。どうも有難うございました。」
とお礼奉ったかと思ったらスーツの内ポケットから財布を出して高額紙幣を2、3枚抜き出してその毒満美様とやらに手渡したのである。
成る程、そういうことか。
ハグ以外にも様々な方法で人は幸せ、生きる歓びを享受できるものなのだな。
納得した私は握った拳を解いてタバコに火を付けた時にこの毒満美様とオッサンは去って行った。