
親愛なるなら僕たちは、伸ばした指の中指と薬指を折ってサインを作るのさ。当然、相手に手のひら側を向けてね。稀に写真を撮るときに同じ中指と薬指を折ったサインでも手の甲側をレンズに向けて「イェーイ!」等とほざいてる輩(ええ歳こいてバンドマンでもないクセに髪染めたりピアス空けたりしてるおっさんに多し。死ね。)がおらっしゃいますが、あんなもんは僕らのサインとは違い何の意味もないというか、本人たちもたいして何かの意味を込めたりせずにただアメリカ人の見よう見まね、若者の見よう見まねでやっているだけで、僕らから言わせれば気の毒な方、無様な方なのですが、まぁそんな愚かしい者たちにいちいち「おい、お前愚かやぞ。」と言ってまわっていたらキリが無いので野放しにさせていただきさらしてる現状でして。
僕らのサインはそんな贋物のサインとは違い、しっかりとした由来というか意味が込められておりましてざっくりと言いますと、立てられた三本の指、親指、人差し指、小指にはそれぞれ、親指は「親愛と賞賛」、人差し指は「決意と指針」、小指は「約束と運命、そして人の物を勝手に食べない」という意思がこめられていて、この三本の指を相手に掲げることで「僕らは何か、大きな達しを達成しよう」という共通のアレをアレする由緒正しき由来があるのさ。
だから僕らはやるよね、あらゆる局面においてこの僕らのサインを。
あらゆる局面でサインを発信ングし発信ングされて、時にはサインを作った手を擦り合わせたりしてお互いに共鳴することによってめちゃくちゃ強固な信頼関係で繋がってますやん!見てこの信頼関係!大仲良しのようだね。
それは男女の壁はもちろん、年齢や国籍、与えられた地位や名声も関係なくサインを発信ングすればみなが同期、みたいなね。平等!みたいなね。
それをなんかすごく邪魔してくるというか、まぁ自分がその輪に加われていないから(サインを発信ングすれば簡単に加われるものを。やれやれ。)やっかんでおらっしゃるのか知らぬが、やれサインを発信ングしている者同士の間にわざと立ってサインの交換の妨害をしてみたり(しかもニヤニヤと笑いながら)、やれサインの交換をし終えて互いの親愛を称え合い「豊かぁー?」「豊か!」と報告し合う段になって大声で「パンツ!」「ウンコ!」「屁!」等、今日日小学生でもなかなか言わないような幼稚でアホらしいことを言って報告を阻害する(おそらく彼奴等は僕らを笑わせてまともに報告出来ないようにしていると思われる。無論僕らはそんな幼稚なワードでは笑わないが。)など、こうしてわざわざ文章にしてみると本当に情けなくなってくるような愚劣でアホンダラな行為をしてくる輩が存在するんだよね。
しかし僕らはそういった輩に対して無関心を決め込んだり、それこそガン無視したりして彼奴等を無き者としていきましょう、みたいなことはせず、なぜなら無関心やガン無視は誰にでも出来ることで、時間が経てばいずれ彼奴等が飽きて情けない妨害行為を辞めるとしてもそれは根本的な解決にはなっておらず、こちらがただ受け身の姿勢で単なる無反応で居ただけで、なんなら「嗚呼、やっと飽きてくだすった。これで安穏じゃ。」という小作人の安穏しか得られないのであり、しかしそれは僕らの目指すところである「大きな達しを達成」することとは真反対の、いわば小作人の逃げ腰といった風情でありこれは言わずもがな大変に情けないことで、そう、情けないという意味では妨害行為をしてくる彼奴等と同じ程度であるということになるので当たり前だけどこれは避けたい。
ならば反対に妨害行為をしてくる彼奴等をこのご自慢の鉄拳でもってベコベコにするのかいとなるワケですが、それはまぁやろうと思えば簡単に、それこそ数秒で彼奴等を半殺しにすることは出来るワケだけど、それをやるとこれはもう規模の差こそあれ戦争と呼んで差し支えない、物騒な世に手前どもの鉄拳でもって変化させてしまうことになるので、これも当たり前であるが「大きな達しを達成」することとは程遠いファーラウェーな事である事は自明なので、ほなどないすんねんと。本当の意味での解決とはなんぞやと。
もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、そう、妨害行為の彼奴等に対しても僕らは、同等の親愛を込めていこうよ、ってことになるのさ。
考えてみればこれは当たり前のことで、僕らはシャカリキにサインを発信ングしあい互いに親愛を込め共鳴してきたのだから、その大きな親愛をもってすれば、妨害行為など小雨みたいなもんで、妨害行為すらも親愛のなかに取り込むことが出来るんですわ。もうそれくらいの域には達してるのですよ。
具体的にどういったアクションを起こすのかというと、まず彼奴等の妨害行為に対して一度ドゥンっと抗議の視線のレーザービームを浴びせかける。彼奴等の心の奥の奥を射抜くような、自分がこんな眼差しで睨まれたらテンションは下がるはオシッコは漏れるわでええことひとつもあらへんやろな、というようなドゥンっとした視線のレーザービーム。
これにより一旦彼奴等を怯ませ此方もやる時はやるという意思を表示するんだ。しかし、人の親愛を邪魔してくるやうな不逞の輩にこの程度の抗議は届かぬのや。一旦は怯んだとてまたすぐに彼方もドゥンっと此方に対して先刻より一層攻撃的な妨害行為を仕掛けてくるである。
そこで笑顔やん。
そこで親愛の笑顔を披露しるんですやん。もちろんその笑顔の傍らには、僕らのサインも添えてね。
それでたいがいの妨害行為の彼奴等は「もうええわっ!きしょいんじゃ!」と捨て台詞を残して家に帰ります(いや本当に家に帰ってるかどうかは知らないですけど。カラオケとか行ってるかもしれないですけど)。しかしそれを僕らの勝利と早合点してはいけません。なぜなら彼奴等にはまだ、僕らの親愛が伝わったとは言えないのですから。
もとより、親愛に勝利も敗北もないのですから。