三人寄れば

 

三人もいるなら寄ってけ。寄ってけ寄ってけ。と僕なんかは思うんだけどみんなはどうなのかな。

三人いれば寄るでしょ。寄るって発想がでるでしょ。でも寄らないのね、最近の人は。

 

僕たちの頃は三人もいれば寄ったもんですよ。

三人寄って「もんじゅー!」と声の限り叫びながら知恵を効かせたもんです。それに比べて最近の人は元気がないもんね。三人いても一切寄らずにウインドショッピングなんかして。寄らんかい、アホ。

 

ただこれは、なにも最近の人が悪いだけじゃなくて、僕ら世代が狼藉の限りを尽くしたから、そんな僕らのことを見て最近の人たちは「ちょっとやっぱ昔の人ってクソですよね。民度が低いというか、自己中心的というか。このままでは諸外国の民から、昔の人のせいで我々までクソだと十把一絡げに考えられかねないのでこれからの国際グローバルな国際においてビハインドをとらせてしまう可能性がありますよね。なのでそういった国恥みたいな連中にはなるべく早く死んでいただいて、この国をもっとデリカシー溢るる、タバコをポイ捨てしたり、痰とかを道に平気で吐く人間が一人でも早く消えて無くなるようにして欲しいですし、我々はそうならないようにしていくでございでございます。」と感じて、それによって三人いても寄らないって判断になってるのかも知れないよね。

だとしたら最近の人の方が、寄らない方が正しいということも言えるよ。今なら言える。

 

つーか、この"最近の人"って言いかたも良くないよね。

まあニュアンスとしては"最近熨してきてる世代の人"みたいなことなんだろうけど、それを"最近の人"なんて括りかたしたら、それじゃあまるで僕ら世代は過去の人、終わった人みたいなことになるじゃない。もう君たちの世代は終わったので後はせいぜい隠居でもするか、それが嫌なら道にぶちまけられたモイスチャーミルクに足を取られてその勢いでウランバートルまで滑って行ってください。そして本場のモンゴル相撲で油まみれになって腰でもいわしとけやアホ。僕ら世代は。みたいなことになるじゃない。

 

とは言いつつも"最近の人"なんて呼んでるのは僕ら世代だけで最近の人がてめぇでてめぇのことを「まぁ我々最近の人は最近の人なのであなた方みたいな老者の言うことっていうのは基本的に理解できないんですよね。あなた方が我々最近の人の言うことを理解できないのと同じね。最近の人の我々。」なんて言い方はしないわけで、ということは結局僕らが勝手に若い方のことを最近の人と呼びさらばえ、なんなら半人前、未熟者的な含みも持たせてるわけで、それってよく考えたら最低の人間のすることだなって思うんです。その、他人にレッテル貼りをするのがね。しかもまだ発言力の無い僕らより若い世代の人に対して。

 

つまり僕ら世代が三人いて寄って文殊の知恵を披露して得意げになっていたあの頃だけど、その実その文殊の知恵とやらはとんだ猿知恵で、全然たいしたことなかったんじゃないかなって今になったら思うけどもね。

 

でもあの頃は僕ら世代がまさに"最近の人"だったわけで、そっから考えたら齢もいったし出汁も出たし、まあ確かに隠居も視野に入れていかないといけないのかなって、ちょっと思って。