椅子から世界へ!

 

私たちの生活に欠かせないもの、それは酸素。あ、間違えた。いや間違えてない。だって酸素は必要じゃないですか。

そしてもう一つ、私たちの生活に欠かせないもの、それは椅子。

だって私たち人間は座ることによって立っていた時の疲れを癒して、それで明日もがんばろう、幸せになろうってなれるわけじゃないですか。まぁそれは布団ではという意見もありますけど、たしかにそうですけど、椅子でも良いじゃないですか。ソファーベッドとかもあるし。

 

そんな生活に欠かせないインポータントな椅子ですが、私が今回みなさんに言いたいのは「椅子に座れてなによりですね。」みたいなヤツ多いね、ということなんです。

 

あの、よくセミナーの講師とかがそれまでにこやかに話していたのに急に「これが鉄の塊の恐怖感なんです。」とか言うて真顔で受講者を見渡すみたいなことがあるじゃないですか。

ああして急に真顔になってこれまでよりちょっとラウドめな声で何か言うてる時はたいていキメ台詞か笑いどころであると相場が決まってますので、そういうのはムカつくので「ん?何か言いました?すいません、ちょっと政治の事が気になってて全くあなたの話を聞いてませんでした。なのでその急に真顔で言い始めたセリフをもう一回言うてもらってよろしいですか?」という態度をとってみてはいかがでしょうか。

するとセミナーの講師はあなたを睨むでしょう。それは猛禽類の瞳で。その猛禽類の瞳に対して私は言います。

 

「椅子に座れてなによりですね。」

 

だがしかし、ここでひとつの疑問が生じます。

セミナーの講師はセミナー中は立って喋ってる場合がほとんどですよね。その立って喋ってる講師に対して「椅子に座れてなによりですね。」と言い放ったさきほどの私はおかしいのではないか。アホなのではないか。いえいえご安心を。

私の言う"椅子に座る"というのは何も実際に物理的に椅子に座っていることだけを指すわけでは無いのですよ。

私の言う"椅子に座る"とは簡単に言うと精神的な椅子、スピリチュアルチェアーのことなのですね。

 

スピリチュアルチェアーとは、色々な説明を省いて掻っ捌いてアレすると、"居丈高"みたいなことです。つまり「椅子に座れてなによりですね。」とは言い換えると、「あらあら、随分と大上段から失礼していただいて、此方人等ワワワン逆にありがとうございます。スピリチュアルチェアーなんかに腰掛けてさ、居丈高に過ごしていただいて。アレですかね、武士は食わねど高楊枝的な。意味わかる?武士は食わねど高楊枝。わからんかぁ。アホですもんね。」というとても長い意味が込められているのですが、そんな事実は露ほども知らずにセミナーはgoes on。

 

まあ最終的には手前から望んでセミナーに参加したくせに、いざ講師がキメ台詞なりちょっとしたボケを挟んだりしたらムカつくとはこれどういうことやねん、と自分で自分を戒めることになるんですが、まぁ私の尊いところはこうして自分で自分を戒めることができるところでね。ある程度齢がいくとこれがなかなか難しくなってくるのですよ。自分だけが正しいと思い込みがちになる。そして他人とはなんとアホなものなのだろうと必要以上に他人を見下すことになる。そして結果的にまだまだ若く純粋な持たざる者に「あなや!王様はフル・モンティだ!」なんて言われて恥をかくことになるのです。

 

要らぬプライドばかり増長してスピリチュアルチェアーに腰掛けるくらいなら、疲れた時は正直に「疲れた。」とでもほざきながら素直に椅子に、物理的な椅子に座り疲れを癒して、出来ることならともすれば居丈高になりがちな自分を戒め、そして優しく赦してあげれば良いのではないでしょうか。

 

ほら、あなたは一人じゃないのだから。