鼻息かけオジサン

 

こんなに悩んだ時点でもうアウトかもしれぬ。こういうのってその瞬間にバッと行かないと、若者の言う「秒で~」みたいな感じで、イラッ!バーン!みたいな感じでいかないともう成立しないのかもしれぬ。やってしもうた。やってしもうた。

 

鼻息かけオジサンは悩みたおしていた。それはそれは、見ているこっちが気の毒になるほどに。なぜいつも元気な鼻息かけオジサンがここまで悩みたおしているかというと、つい今しがたの出来事が原因であります。

 

鼻息かけオジサンはその名の通り、鼻息を人にかけて生活している剛の者でありまして、主に通勤時間帯の混み合った電車内で自分の周りにいる人に鼻息をスーッと、時にフンッ!とかけて満足感を得るという字面だけみたらクソ野郎なのですが、鼻息かけオジサンの鼻息というのは実は、「私の鼻息がかかった人は掛け値無しに幸せになれるものとしてください。お願いします(>_<)」という鼻息かけオジサンの切なる願いが込められた聖なる鼻息、言わば神の鼻息吹、ゴッドノーズブレスみたいなものなのですが、それを周りの人は知らない為、鼻息かけオジサンはいつも疎んじられているのです。

 

そんな聖者鼻息かけオジサンが何をそんなにアホみたいに悩んでいるのかというと、たった今、鼻息かけオジサンの清き鼻息をその顔に吹きかけられた若者が鼻息かけオジサンに対し突然キレて暴言を吐いてきたからゆえでございまして、その暴言というのが「こらカス!お前の気持ち悪い鼻息がさっきから頰に当たっとんねん!スースースースー気持ち悪いのう!」といったもので、これは鼻息かけオジサンの ''みんなを幸せにしたい'' という願いを全く理解していないことはもちろん、あまつさえ肩を軽くどつくというライトめの暴力まで振るってきたため、身に降りかかる火の粉はいかなる時もこれを払うこととする、と天地神明に誓っている鼻息かけオジサンとしてはすぐさまファイトバックを仕掛けなければいけないところなのであるが、生来心優しく臆病な性格である鼻息かけオジサンは他人をまともにどついたことが無く、ケンカのスタートのさせ方を存じていない為、果たしてどうやり返せば良いのか、つまりどうどつき返せばいいのか分からなかったために一瞬戸惑ってしまい、そしてスマートにすぐに反撃できなかったゆえに奇妙な間が空いてしまった為、鼻息かけオジサンは若者に鼻息を自由にかけて怒られて怖気付いてる軟弱者みたいになってしまっているこの状況に対して悩んでいるのである。

 

私の鼻息には願いが、祈りがこもっている。みなを幸せの坩堝に叩き込みたいという切なる願いが。

普通のオジサンの吹く鼻息とはレヴェルが違うし尊さも違うというのに、そんな私の鼻息がかかってなぜ怒るのだろうか。若者はいつも私のことをわかってくれない。その若さゆえ、やりたい放題である。

 

 

鼻息かけオジサンはとても悲しみの気分になり、せめて若者に自分の鼻息のことをわかってもらおう、そして隙があれば一発くらい頭をはたいてやろう、大人の怖さを教えてやろう、と考えたが次の駅で電車を降りなければいけないからやめておく、としたが、プライドを傷つけられ衆人環視の中で罵倒されたにも関わらず、そうやって自分に言い訳しトラブルを避けるようなお利口に自分はいつからなってしまったんだろう、とまたも自己嫌悪に陥りそうになったが、そこは元気だけが取り柄の鼻息かけオジサン、電車を降りるとなんだか気分も切り替わり、富士そばを食べてから出社するのでした。