己がションテンのアゲ

 

この複雑怪奇な浮世において、常に明るく、常に元気で、常にアッパー入ってるような、太陽のようなサンシャインな人柄をキープ出来ている方は、そのサンシャイン具合はそなたが持って生まれた才能のひとつであって、誰もがみんな常にそんなサンシャインにアクション出来るワケではないという事に気付いて欲しいというか、こちらにもサンシャインを強要しないで欲しいというか、こちらが全くの平常テンションで、凪いだ海のような心持ちで揺曳しているだけの時とかに「元気ないな。大丈夫か?」ってな感じで心配してくるのは有難いけどやめて欲しいというか、申し訳ないというか、とにかく、常にサンシャインに元気にいられる人は素晴らしいし尊敬できるけど、俺はそんなに元気に見えないかもしれないけれど別に大丈夫なんでほっといて欲しいというか、もし大丈夫じゃなかったら、なんかあったら言うというか。

 

だがしかし、人間道とは辛く厳しいもので、生きていると、何やかんやで無理やりにでも自分が自分でアガッていく、サンシャインに成り得ていくということがどうしても必要になってくる時がある。そしてまた、サンシャインに成りたいと思う時がある。「平素は格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます」の「平素」ではいられないような瞬間、いてはいけない瞬間、灼熱に成り得たいとき。

 

そんな時の為に、自分が自分でアガッていけるような方法をひとつ習得しておくと、瞬間的ではあるかもしれないけれど仮初めのサンシャインに成り得られるのでえぇと思うねん。わてホンマそう思うねん。みんなそれぞれの夢を持った個性的な仲間やねん。それぞれの夢大事にしていこ!夢叶えていこ!みーんなで幸せになろや!

といった具合に私の場合は地元の訛りで胡散臭いことをほたえ倒すというのが自分が自分でアガッていく方法のひとつなのですが、まあ、効果は一瞬なんですけども。

 

稀に街中でめちゃくちゃデカいリュックを背負って大きめのショルダーバッグも肩から掛けて両手にスーパーの袋や紙袋を持って首から携帯電話をぶら下げてるみたいな、かなりの重装備なオジさんを見かけることがあると思いますが、あれも実は「俺はいま、俺が俺で全財産を持ち歩いている。」という責任感に基づいた、自分が自分でアガッていくオジさんなりの方法のひとつですし、早歩きすぎて前傾してるオバさんも、「私は私でこの前傾姿勢で、私の前に立ちはだかる壁を突き破っていく。」といった感じで、自分が自分でアガッていくオバさんなりの方法なのだ。

 

ふと思いましたが、早歩きすぎて前傾してる方のそのほとんどが何かしらの独り言を言いながらこのバビロンの中を突き進んでいるのはなぜなのでしょう。

「西に進んで最終的に東まで行く算段をする。」

「なんだよ、絵に描いたようなサンバ好きみたいな居様でさぁ。」

「織田秀康!わはは!子供が生まれたら織田秀康ってゆー名前にするよ!わは!天下!」

等、実に個性的であり内省的な独り言を、独り言とは思えない大きめの声で言いながら突き進んでいる場合が多いのです。ひとりで。このバビロンを。

あの独り言もおそらく自分が自分でアガッていく方法のひとつなのだと思うのですが、周りの人間はちょっとびっくりするのでやめてほしいと言えばやめてほしいのですけども。あと、電車の中で先頭車両で運転手さんの動作を完コピしつつ更に車掌さんのアナウンスも完コピするようなマネも、どちらかといえばやめてほしい。

 

が、自分が自分でアガッていくという行為は誰に咎められようが決して臆することなくやり切ることが大事なので、気にしなくて大丈夫。