パウンディングの着地点

 

私たちは本来なら何ものにも縛られることなく、ライラライと、シャナナッと、自由闊達に歌い踊る日々を送れ、もし何かに縛られることがあるとしたら、それはそういう趣味の人、縛られるというよりも、むしろ自ら志願して縛っていただいてる人だけに起こりうることであるハズなのですが、実際には縛られ、抑え込まれ、なんかちょっと身動きが取り辛いなぁみたいなライフを送られている方がほとんどだと思います。

 

でもそれは当たり前のことで、もし本当に何ものにも縛られることなく皆が皆やりたい放題で好きなだけ人のモノを勝手に食べたりパソコンを爆発させたりどこへでも猫を連れて入ったりしていたら人間社会は崩壊してしまいますから、昔の偉い人(私の先祖です)が「やりたい放題はちょっとやめていきましょう。これからは色々とちゃんとしていきまっしょい。」と色々とちゃんとし線を引き始めたからこそ、人間社会の近代化が進み、テクノロジーは発達し、もう歯を抜く時も全然痛くない、みたいな快適な生活環境が整ったワケですな。

 

線を引く。

「ここから先は私の土地なんで勝手に入ってウンコとかしないでください。よろしくです。」

初めはこの程度のほんの些細な線引きから始まりました。しかし、ひとりが線を引くと、なんでアイツだけあんな私だけのとっておきスペースみたいな感じで自分の土地を確保してまんねん、そんなんズルい、俺も線を引く。ってな感じで周りの人々もバスンバスンと線を引き始め、この地球上、そして人々の行動や精神までもが線だらけ、東京の路線図のように複雑に入り組んでもはや人間社会で生活するには線を引き、線に止められ、線を超え、線に乗り、線無しには普通の生活もロクに営めないような線の世界になり申した。

 

たとえば胸の大きな女性が歩くたびに胸をパウン、パウンとパウンディングさせてこの世の春を満喫していらっしゃる場合がありますが、あれはどのくらいの胸の大きさからパウンディング、ノン・パウンディングと線が引かれるのか。

大人の男性器は陰毛という線があるのでそっから先にモザイクをかければビデ倫には通りますが、子供の男性器、陰毛の線が無い場合にはどこからがチンチンで、どこから先に、先っちょにモザイクをかけるのか。

以上のような丸ごとどーでもええことにすら、線が引かれているのです。

 

ただこれが逆に線の無い世界、真のフリーダムな世界に急になったとしたらどうでしょう。人と人との線、国と国との線、種と種の線、男と女の線、etc...。

私の拙い頭脳でイマジンしても、なんかそれは、線が無くなるのはちょっと良くない気はするんですが、まぁその辺を詳しく知りたい方は身近な偉い人に聞いてみてください。きっとええ感じの答えが返ってきますよ!

 

 

そして結局何が言いたいかというと、「パウン、パウン、パウンと、歩くたびにおっぱいがパウンディングする」という短文が突如稲妻のやうに私のアタマに閃いたので、その閃き、煌めきを大事にしよう。今を生きることの歓び、もっと感じていこう。メチャクチャデカいリュックを背負って歩いてる人の嗜み、もっと嗜んでいこう。ということでパウンディングについて書こうとしたらそんな線みたいな壮大すぎて全くパウンディングのノリに持っていけない俺の拙さが、とても可愛いところである。と、よく言われますし、俺に「可愛いね。」と言いたい方は時と場合を問わずいつでも言ってくださいね。待ってます。待ってません。