フォーリンダン

 

私の部屋にはテレビが無いので、日常生活でニュースやワイドショー、バラエティなどのテレビ番組を観る機会がほとんどゼロなのですが、それでもやっぱり感じるのは「人が死んだニュース多すぎ」ということなんですね。

 

大物芸能人が死んだりするとどこのテレビ局もこぞってその大物芸能人が死んだニュースばかり取り上げます。そしてその大物芸能人と繋がりのある芸能人からのお悔やみのコメントのFAXを読んだり、まだ元気だった頃の大物芸能人のVTRをがむしゃらに流したり。

そしてキャスターは神妙そうな表情を作って「早すぎますよね。もっと大物芸能人の活躍を見たかったです。早すぎ。」みたいなことを言うばかりで、「まあね、悲しいですけど、人はいずれ絶対に死にますから。」ってな感じの事を言おうものなら世間から猛バッシングを受けるのだろうね。

 

朝という一日の始まりの刻に人が死んだニュース。CM挟んでまた人が死んだニュース。海外のテロのニュース、銃乱射のニュース、災害のニュース、難民のニュース、ドーピングのニュース、自殺のニュースに他殺のニュース。誰かが何処かで死んだニュースでテレビは今日も元気。俺は元気じゃない。

 

だから、そんな悲しいニュースを聞いたときに私はつぶやくのさ。

 

「こりゃフォーリンダンやね。」

 

まあ正直なことを言うと毎回「こりゃフォーリンダンやね。」という言いまわしをしているワケではなく、場合によっては「おやおや、なんとフォーリンダンな。」や「こいつぁフォーリンダンなこってぇ。」や「りんご食べよ。朝の果物は金、ばぁちゃんがよく言ってましたよ。それにしてもフォーリンダンよなぁ。」といった具合に使い分けをしつつ言っているワケなのですが、それは置いといて何故私が悲しいニュースを聞くと「こりゃフォーリンダンやね。」とつぶやくのか気になって仕方ないのではないですか?大丈夫ですか?ちゃんと寝てますか?

 

まずこのフォーリンダンというのはご推察のとおり'' fallin' down=落ちていく''という英単語に私なりのポップエッセンスを効かせて完成させた究極のポップエッセンスを効かせた究極の魔法のワードなのですが、ほならなぜそんな魔法なワードを悲しいニュースを聞いた際にほざくかと言いますと、やはり私も人間ですゆえ、朝から悲しいニュースを聞くと気分が落ちるワケですね。テン下げなワケなのですが、そんなときにマジに低いテンションで「はぁ、悲しいニュースやね。バイブス下がるわ…。」なんて口にしてしまうとまだ朝だというのに起きたとこやというのに気分はボトムあたりまで盛り下がり、その日一日が終わってしまうという危険性があるんですな。

短い人生のうちの一日を、朝イチで終わらせるなんて、天が許してもこのエスニックパウダーが許さねぇ!なんて知らないエスニックパウダーから言われるのが関の山(呆)。

だのでそんな時に「こりゃフォーリンダンやね。」というポップバイブに溢れたワードを吐かすことによって悲しいニュースを聞いて悲しい気分になった手前どもを客観的な視点からポップバイブなワードで茶化してポップ化、荒唐無稽化することによって無益なナーバスを避けよう、一日が速攻で終わってしまうことを避けよう、という思惑から悲しいニュースを聞くたびに''フォーリンダン''というワードを殊更におちゃらけた感じにほざいてるのです。

 

ただこうして悲しいニュースに対して''フォーリンダン''みたいなふざけた態度を取っているとアナリストに激怒されたりすることもあるんですよアナリスト。アナリストに執拗につけ狙われ、挙句の果てにはアナリストの一族郎党と刺し違えることになるんですな。ただ私が言いたいのは、アナリストとは、肛門つまりアナルをこよなく愛し、アナルこそ神の鎮座まします場所、AFこそこの世の快楽の全て、アナルの写真だけで写真フォルダが埋まっており、人間はアナルから産まれてくると信じてやまない、そしてアナル趣味でなくともとにかくド変態で最低の人間という意味で、これは評論家やコメンテーターと全く同じ意味なのですが、そんな奴輩に''フォーリンダン''を糾弾されたところで一体何のダメージがございましょう。そんなもん小鉢に残りの出汁を注ぐ程度の小ダメでしかありませんよね(絶望的に下手な例え)。

 

しかしアナリストというのも素直じゃないというかまともな人権が無いまま育ってきたせいか、感情表現が歪んでるというか、アナリストに対し「おいそこのマザーファッカー!ブルシットみたいな顔しやがってこのボケ!見てみろやこのニュース、めっちゃくちゃフォーリンダンでおますのえ。やらそよ、たたかゅひえこ(意味不明)。」とのたまうと、中国人の毛で作られた自慢のヅラをずらしつつ「なんだと!この無礼者!」と叫び散らしてきます。

 

このアナリストが叫び散らす''無礼者''というワードですが、これが実にフォーリンダンと似た感じのワードで、''無礼者''というのは英語の''brave heart''、日本語に訳すと''勇気の心''、つまりアナリストは表情こそばらもん凧みたいになっているものの実は、初対面の相手にいきなりマザーファッカーから入るとはなかなか勇気の心持ってるやん、と私のことをそれなりに高く評価しているということになるのですね。

 

 

しかし、前途のとおりアナリストとはド変態の最低の人間という意味ですから、そんなヤツからそれなりの評価を受けるということは、私自身が多少なりともアナリストの感性にマッチしている部分があるということで、こんなに悲しいことは、切ないことは普通に生活していればそうそうあることではなく、これはさすがに魔法なワード、フォーリンダンをもってしてもちょっとテン下げは免れないようなことが多いんですよね。