私は爆笑エピソード

 

みなさまには、「臭すぎて前が全然見えない。」という経験はお有りでしょうか。

あまりの臭さに目に刺すような痛みを覚え、涙がとめどなく溢れ出て全然前が見えない。此処がどこかもわからない。どこから来て、どこへ行くのか。ああ臭い。もうアレですよね。何がこんなに臭いのか分からないですけども、これを臭いと感じる人間、動物であることがそもそもの間違いなのかもしれないですね。不幸なのかもしれないですよね。なんかそんな気がしてきました。持って産まれた罪、みたいな。それにしてもああ臭い。ってな経験はお有りでしょうか。

 

私にはそんな経験はありません。てゆーかそれも含めて私の人生には爆笑エピソードと呼べるものが何一つないということに最近気づいたのです。

考えてみれば、ヤンキーの先輩とかに「ちょっとヒマやさかい何かおもろい話せぇや。」といきなり言われても何のエピソードもないのでそんな時は財布に入れている一人で撮ったプリクラを見せて急場をしのいでおりました。

 

やはり人生において爆笑エピソードをどれだけ持っているか、そしてそれをいかにTPOに合わせて脳のライブラリからズルンっと引っ張り出せるかどうかというのが、その人が他者から''おもしろい''、''おもしろくない''と判断される分け目になると私は思います。

そういう意味では人生で何一つ爆笑エピソードがない私は''おもしろい''、''おもしろくない''を判断されるまでもなく不戦敗、エントリーすら出来ない、丸おもんな人間であるということが言えるワケですね。言えるワケですね、って、こんな悲しいことを自分で言い切るなんて本当はマジで嫌なんですけどね。でも言わないと話進まないでしょ。

 

しかし私もこのまま丸おもんな人間にとどまるつもりはいいえ、毛頭ございません。

やはり「ヤツはおもしろい。稲妻のような者だ。」と他者から尊敬されながら生きていきたいですもの。

なのでここはひとつ爆笑エピソードを創作し、まるで本当に私自身が体験したかのように他者にそれを披露し「あ、此奴は爆笑の者なのだな。」と思われ尊敬され崇め奉らるるようにがんばっていこ、夢叶えていこ、ともいました(と思いました)。

 

爆笑エピソードを創作するにあたって大事なことはまずリアリティ、そして意外性、ささやかな自虐、構成力、シンプルな言葉で伝わる、人間愛、相手が想像しやすい状況、あまりハイブロウな表現や遠回りすぎる考えオチみたいなことは避ける、ってなことを考え出すとキリが無いので案ずるより産むが易し、とりあえず前途のとおり「臭すぎて前が全然見えない。」という爆笑エピソードを産んでみました。

 

早速いつもヒマになる度に「おもしろい話しろ。」と発注してくるアホなヤンキーの先輩にこの爆笑エピソードを話そうと思い連絡しました。

「先輩、夜分遅くにすみません。夜中の4時半にすみません。寝てました?そらそうですよね。僕かて普段この時間は寝てますもの。ではなぜ今宵はかかる深夜っつーかもう明け方まで起きさらばえているのか。答えはひとつ。かねてより発注される度に誤魔化してきた爆笑エピソードを思い出したからなんです!というわけでいつものファミレースまできていただいていいですか?待ってますね!」

 

というワケで先輩を呼び出したんですが先輩は寝起きということもあってか、そして私がこんな時に限って出かける直前に猛烈な便意に襲われ、およそ40分にも及ぶ壮絶な大便に時間を取られたせいで先輩を待たせまくったこともあってか、明らかに不機嫌な様子でファミレースのテーブルに座りついておりました。

 

そんな先輩の不機嫌をよそに私は悠々と産みたての爆笑エピソード、「臭すぎて前が全然見えない。」を披露したワケなんですが、結果から言うと先輩は見たことないぐらいキレてました。以前、私が先輩のスマホを意図的に水没させてデータが全て消えた時よりもキレてました。念のために財布に忍ばせておいた一人で撮ったプリクラも無残に破り捨てられ、先輩は怒り私は泣き、ファミレースの店員さんが呼んでくれた警察の方が来るまで、私は時折どつかれながら先輩のキレっぷりを全身で感じていたのです。

 

 

あれから数日、すっかり創作の爆笑エピソードを産むのが日課になった私ですが、先輩はもう二度と私の爆笑エピソードを聞く気がないと高々と宣言されているので、「一回表なのに九回裏だと勘違いしてて試合開始の瞬間に家に帰った。」や、「駅までダッシュしてる時に道端にぶちまけられたモイスチャーミルクに足を取られ、その勢いでウランバートルまで滑って行った。」や、「どこで情報を仕入れたのか、最近祖母がフィリピン人に介護されることに興味を持ち始めてる。」などの珠玉の爆笑エピソードは陽の目を見ないまま私のなかで眠っているのです。