ナイスの語源はナイスガイからきてる

 

やはりナイスガイになりたいなと常日頃から思っていることで自分の理想とするナイスガイに少しずつなっていけ。自分を近づけてけ。やったらんかいの精神でいけ。ど根性だ。いまにみておれと世のブスどもを睨みつけていけ。脳を騙せ、欺け。突破口は貴様自身の中にある。よろしくお願いします。

 

ということで私もナイスガイを目指して日々をヒビゴーさせて、ヒビヒビゴーさせて、頭にアルミホイルも巻いて電磁波を跳ね返しつつ楽しく暮らしているのですが、一朝一夕でナイスガイは成せないというのがこの道行きの辛いところ、悲しいところなんですな。

 

ナイスガイというのはやはり受け身な姿勢にそのナイスさが滲み出て響き渡っているというのが私の見立てでありまして、たとえば人のものを勝手に食べたり、先にポイントカードを出したり、操作ミスでパソコンを爆発させたりと、そういったガッツある感じの行動は、これはナイスガイを目指すならば避けて通りたく、しかし此処一番のときには自ら矢面に立ちて世の腐れ外道どもを一刀のもとに斬り捨て、さもそれが当然のこと、自らの愛する仲間の為なら当たり前のことといった風情で、これといった決め台詞も吐かずに颯爽と家に帰って録画しておいたNHKの動物番組を観るというのがナイスガイの嗜み、様であると思うのです。

 

またナイスガイはどんな者に対しても分け隔てなく接し、それが例えば4人は殺ってる者であっても分け隔てなく接することが出来ますが、5人殺ってるとなるとさすがのナイスガイであっても分け隔てなく接するのは少しばかり難儀らしく、なぜならそれは5人も殺っているということはもうこれは立派な殺人鬼であり、そんな者はもはや人間ではなくて獣なのでさすがのナイスガイとはいえちょっと怖いなって感じを感じるようで「5人殺ってるとなるとちょっとキツイなって思うよね。そういうところがまだまだだなって自分を恥じているよ。君はそうならないようにね。君なら出来るよ。僕は信じてる。」と語り尽くしていたそうです。その目には薄っすらと涙を浮かべていたといいます。なんたるナイスガイなのでしゃうか。

 

 

なんやかんや言うて私もずいぶんとナイスガイに近づいてきてはいるのですが、まだまだ本物のナイスガイのナイスさには敵わないのが現状ですね。例えば街で犬を見かけたときなんか一人で大喜びしてしまいますしね。嗚呼、犬と暮らしたい…。唐揚げが食べたい…。全く欲を丸出しにさせていただいている私のナイスガイへの道行きは、とはいえまだ始まったばかりなのだ。そう気を落とさずに行こうぜ。君ならきっとナイスガイになれるさ。僕が信じてる。とナイスガイに言ってもらえれば、今より少し頑張れるとは思うんですよ。マジな話。