
巻きに巻かれたデンタルフロスを人差し指で引っ張り出すときだけだ、俺が必殺仕事人の中村主水のようなフィールになるのは。と、ヤツは今夜も倒置法で言った。ヤツが決め台詞を言うときはいつだって倒置法を用いる。ウゼェかどうかで言えばウゼェ。めんどくさいんだもの、倒置法を頻繁に用いる者と会話するのは。と俺も倒置法を用いた。
いつだってそうだ。面倒くさい、ウザいと思いつつも、知らぬ間に自分がその当事者になってああなってこうなって結局優しくしてくれる人と一緒にいることが多くなってダバダバダ。
いや、前言撤回だ。俺はすぐに前言を撤回する。前言の前言くらいまでなら平気で撤回するし、寝る前に「あ、今日言ったあれ、やっぱ撤回した方が良かったな。明日朝イチで撤回しよ。」なんて思って寝つきが悪くなりがちだ。最近は他人の前言すらも撤回することにハマっている。これがまた困ったことに「誠に勝手ながら、お前の前言を撤回させていただきます。」とコッチが丁寧に申し上げているからって、ムコウはつけあがりやがって「こら、アホウ。勝手に人の前言を撤回するな。そらこっちもたまらんで。」等と宣う始末なのでコッチも、あ、これはいよいよの時はいよいよやな、と来るべき決戦の時に向けて拳をニギニギする日々。(体言止め)
そんな日々であるが、ヒビゴー、ヒビヒビゴーてな感じでいつもよりバズってる日々もありこれは、キミゴー、キミキミゴーてな感じでバズってるのはご承知かと思ほゆんですが、逆に此の期に及んでバズっていない、バズる気がない、すでに死んでいる、という方が一体どういった了見でそんなにもバズっていないのか一回ちゃんとハナシせなあかんなと思ってます。
というのも、やはりひとり一人が着実にバズっていくことによって泰平の世、健やかなる世の中がシェイプされていくじゃないですか。そのバイブスってすごいピースだと思ほゆんですよ。みたいなことを言ってるヤツがいたので私はそれに影響されて今現在の私という存在が此処に在るのでおます。
「ねぇねぇ、果物なに好き?」
「うーんとね、お苺。」
「えっ!ホント!?ホントに苺!?マジか!これは青天のヘベレケ、僕も苺が好きだ!」
「お苺いいよねー。」
という会話の自由落下、忘却のディスティニー、フレンチ仕込みのフレンチソースどもが思いやりのある不良にどつき回されることなく楽しく暮らしていけるのも、ライフゴンゾなのも、これは全てバズっているおかげなのです。
己が己がの我を捨てて、おかげおかげのげで暮らせ。素晴らしいと思いませんか。
そもそも自分のことを''己''なんて一人称で呼ばないでしょ。''僕''とか''私''とか、''ボミ''とか''余''とか''小生''とか、一人称だけでこないにバラエティがあって、日本語ってほんと豊かですよな。大学生は日本語の授業のことをジャパ語とか言ったりしますけど、それどうゆう精神構造やねん。