
ドラマは至る所で起こっている、至っている。人間や動物、木や草花、命が存在する場所その全てにドラマが至っている。
また、命が存在しない場所にも存在しないなりのドラマがあるらしい。それはとても静かで、見る人によっては天国のような、はたまた地獄のようなドラマに至っているのかもしれない。予想ですけど。
しかし、かねてより好奇心旺盛な私は、この世の何処かにあるはずのドラマの至っていない場所を探した。ドラマが至ってない場所を探すとか言って張り切って実家を飛び出したんだ。それはとても昔。まだ若かった私は、本気でドラマが至っていない所があると信じてこの世を奔走し続けた私だった。探して探して探したおしていた時代、あることに気付いたんだ宇田川(私)。
「もしや、ドラマが至っていない場所が存在したとしても、その場所に私が至ったということで、その状況がドラマに至ってしまい、ドラマが至っていなかった場所にドラマが至る、至りたおすことになるのではないか宇田川(私)。」
私の自問自答は的中した。
なぜ的中したかどうか私が分かり得たかと言うと、ある日の午後、駅に至る道を歩っていたところ、前方から歩ってくるどう見ても私よりアホな人に「それ的中してるで。人の言うことは聞いといた方がええで。」と突然言われたからで、まだ若い時代の私は、そんなもんお前みたいなアホに言われんでも人の言うことぐらい聞いとるわタコス、というとてつもないアナーキーな気持ちで憤怒しており、よっしゃこのアホどついたろと拳握ったその時でした。私に天啓が舞い落ちたのです。不思議なもので。それはこういった内容でした。
「嗚呼、私がこのアホを殴ったら、私とこのアホの間にドラマが至ってしまほゆ。」
幸いすんでの所でアホをどつかずに済みましたが、突如私に対し的中してるとかワケのわからんことを言うてきたアホのことを特に否定もせずにやり過ごしてしまったということで、否定しなかったことは肯定ととられても仕方ない、疑わしきはバッセズの精神で私は自問自答を的中として処理致しました。
ドラマの至っていない場所などない、といよいよ腹を決めた私はそらからというもの、決して暮らしの中の細部に至るドラマを大切にし、小さなドラマの積み重ねで生かされていることに感謝し、この地獄のような毎日を過ごしてきて今に至るのです。
あなたは私のドラマになり、私はあなたのドラマになる。
さあ、引き金を引いてください。
この至近距離だ。十中八九、私は死ぬでしょう。
しかし怖くはありません。
なぜなら、死後の世界こそ、私が夢にまで見たドラマの至っていない世界なのではないかと、かねてより至っていたんだ宇田川(私)。