恋とソウルの終わりが、いつだって突然であることは、もはや周知の事実である。
「僕は君のガイドブックになりたいねや。」
そんな私の告白により始まったふたりだった。
彼女は、
「え、ガイドブックってなに。ガイドするの?あなたが導くの?この私を。」
と冷たく言い放った。
私は「あ、これはやってもうたな。」と感じ、
「まあそのガイドブックとか言ってみたのは、これはあくまで勢いで口からでたアレであって、別に僕ごときが君のライフを導くみたいな意味で、ガイドするみたいな意味で、君にとっての羅針盤になりたいな、みたいな意味で言ったのではなくて、なんやかんやでふたりで同じ方向を見て歩んでいきたいなと、未来に向かって一緒にダッシュしていきたいなと思ってまして、その辺はそのプラスの方向で噛み砕いていただいて、嚥下していただいて、そしていずれあなたの血となり肉となっていただいて。」
とすぐさまフォローしたのです。我ながら凄まじくナイスなフォローだったと自認しております。
それにより彼女は私にゾの字のゾッコン、こちらから想いを伝えたにも関わらずいざ成就した途端、まさかこんな引くぐらい彼女が僕に惚れてくれるとは思わなんだな、と遥か遠く浪速の地に暮らす祖母のような口調で感じてしまうくらい私に惚れたということです。
当時の私はこの北京の地において、”浪速のソウルキング”と通称されるほどのソウルっぷりで、それなりの地位と名声を手に入れておりましたが、かといってそないにこの私に市井の女子が惚れるとは思えないのです。
なぜなら私の目はウルとしておりつぶら、そして眉は常に少し困っているような、いわゆるハの字シェイプをしており、顔面の下半身はというと、口はへの字に曲がり、そして頬は経年劣化によりダルダル、つまり犬のパグのような顔面をしておりまして、まあ一言で言うとブサイクなんですね。体型も豆タンクですし。わかります?豆タンク体型。
しかし彼女のゾッコンっぷりは本物のようでして、私に対し昼夜を問わず「早よ帰ってこい。殺すぞ。」と電子メールを送ってくる毎日でした。
そんな彼女に変化が現れたのは昨年の終わり頃のこと。彼女は真冬にも関わらず毎日晩ご飯にキンキンの素麺を作るという、ずいぶんと分かりやすくエッジの効いた方向で私に対する愛情の尽き様をアッピールしてくるようになったのです。
私は素麺の晩ご飯が1ヶ月ほど続いたころに、彼女に理由を問うてみました。すると彼女は明らかに、「やっと聞いてきよったなこのスカタン。1ヶ月もこの真冬の寒い時に毎晩キンキンの素麺ばっかり食わされてやっと聞いてきよった。3日目ぐらいで聞くやろ普通。それを今頃聞いてきよった。ちょっともう笑ってしまいそうです。」みたいな、呆れたおした表情で私に言いました。
「おまえさぁ、自分で自分のこと”浪速のソウルキングって呼ばれてます!よろしくおねがいします!”とか言ってるじゃない?それは誰が言ってるの?本当に言われたことあるの?あるならその言ったヤツ連れてきて。どつきまわしますので。てゆーかおまえそもそも浪速出身じゃないでしょ。正確に言うと北海道でしょ?どうでもええけど。まあこっちも一度は惚れて付き合ったワケなので待つには待ちましたけど、私と付き合ってから一向にソウル活動もしてないじゃないですか。こんな北京みたいな大都市まで来て。そして私と出会って。そして毎日ジョギングばっかりして。なんやおまえ。ええ加減なことばっかり言うとったら北京チョップでおどれのドタマかち割ったってもええねんぞ。いつでもやったんぞ。」
といったように爆裂怒られました。はい。大人になって初めてあんなに怒られました。上記はあくまでダイジェスト版でございまして、実際はこの15倍くらい怒られておりました。時間にして40分、説教にしては鬼長いということは、みなさんの経験からも理解していただけるのではないのでしょうか。
そして彼女は今年の年明け、買い溜めておいた素麺がすべてなくなると同時にこの部屋から出て行ったのです。再見も言わずに。
彼女が出て行ったこの部屋、この北京に、私はもうなんの用も思い入れもありませんでした。ライフワークであるソウル活動も停滞を極めておりますし。
私は今一度自分自身を見つめ直そうと、この街を去り再び浪速の地に戻って、イチからソウル活動を再開しよと思い立ちました。
この北京の部屋から遠い故郷、浪速へと自慢のダッシュで帰ることにいたしました。
彼女への最後のカッコつけに振り返ることはしないでおこうと、まっすぐただ前だけを見て猛然とダッシュしておりました。
君との思い出を振り切るように、ただ前だけを見て。
北京の街が見えなくなるまで。